翻訳|Nubia
エジプト南部からスーダン北部にかけてのナイル川流域の地名。一般的にアスワンの第1急湍(たん)から南の第4急湍付近までをさす。アラビア語ではヌーバNūba。黄金や木材の産地として,アフリカ奥地からの貢納品の中継地として,また多くの傭兵を徴用する地として,古代からエジプトにとって経済的にも軍事的にも重要な地域であった。下流のエジプト領の下ヌビア(古代名ワワト)と上流のスーダン領の上ヌビア(古代名クシュ。ギリシア人の呼称はアイティオピア)とに分けられる。アスワン・ハイ・ダムの建設により,下ヌビアの全域と上ヌビアの一部が水没してしまうため,1960年にユネスコが呼びかけたヌビア水没遺跡救済のキャンペーンに対し,20ヵ国以上が協力し,約30の調査隊が組織された。またアブ・シンベル神殿,カラブシャ神殿,フィラエ島イシス神殿など水没地の多くの遺構が移築された。
この地には前期旧石器時代から連続して人類の活動の跡が見られる。新石器時代からエジプト初期王朝時代にかけての文化をAグループ文化と呼ぶ。エジプト古王国時代になると組織的な交易がおこなわれ,第1急湍南までエジプトの支配を受けた。前2000年頃エジプト文化の影響を受け,Cグループ文化と呼ばれるヌビア独自の文化がおこった。エジプト中王国時代には第2急湍南までが,そして新王国時代には第4急湍までがエジプトの支配下に置かれ,各地に拠点として要塞が築かれた。前8世紀中頃,上ヌビアのナパタを中心とする勢力が,第25王朝を樹立し,一時的にエジプト全土を支配したが,アッシリアのエジプト征服により,再びヌビアに退いた。その後,中心を南のメロエに移し,4世紀ころまでメロエ王国として繁栄し,その滅亡後6世紀まで下ヌビアを中心に,Xグループと呼ばれる独自の文化が栄えた。6世紀にキリスト教が導入され,ビザンティン文化の強い影響を受けた優れたキリスト教文化が花開いた。
執筆者:近藤 二郎 イスラム教徒のアラブの侵入が始まる7世紀には,下ヌビアにムカッラMuqarra王国,上ヌビアにアルワ`Alwa(アロディアAlodia)王国の二つのキリスト教王国があった。最初の侵入である641・642年のウクバ・ブン・ナーフィーの率いた遠征では成果をあげず撤退したが,651年アブド・アッラーフ・ブン・サード`Abd Allāh b.Sa`dによる遠征はムカッラ王国の都ドンゴラまで侵入し,毎年365人の奴隷の貢納を約束させた。この後,ウマイヤ朝やアッバース朝の時代にも,ときおり遠征軍が送られたが,それはしばしば履行されなかった奴隷貢納を強制することと同時に,下ヌビアのアラーキーの金鉱支配を目的としていた。
この不完全な従属関係はファーティマ朝まで維持されたが,アイユーブ朝のサラーフ・アッディーンによる遠征軍派遣(1172)以後ヌビア支配政策が積極化した。マムルーク朝のスルタン,バイバルス1世(在位1260-77)とカラーウーン(在位1279-90)による遠征軍派遣は,ムカッラ王国の衰退をいっそう早め,1316・17年ついにイスラム教徒の王アブド・アッラーフ・ブン・サンブが即位するに及び,マムルーク朝の属領となった。この軍事的征服は,アラブの移住と相まってアラブ化とイスラム化を促進させた。アラブ軍による遠征の初期には,アラブの移住は進まなかったが,9世紀後半トゥールーン朝時代,上エジプトのアスワン(下ヌビア国境)付近にラビーア族やジュハイナ族などが住みつき,しだいにヌビア人とも混血,アラブ・ヌビア系のバヌー・カンズ族のような土着勢力が出現し,14世紀以後下ヌビアを支配した。また,1258年のモンゴル軍によるバグダード征服の難を逃れたアラブの移住も多かった。
上ヌビアのアルワのアラブ化とイスラム化は,下ヌビアよりも遅れていた。しかし,16世紀スーダン地方からイスラム教徒の黒人フンジ族が侵入し,その支配下に入ってからイスラム化と黒人化が促進されたが,下ヌビアは1517年セリム1世に征服されてオスマン帝国の支配下に入ったため,両ヌビアは政治的・民族的にいっそう分離するようになった。オスマン帝国治下の16~19世紀,アラブ化したヌビア人の中には,傭兵,奴隷商人,ナイル川の船夫として活躍する者もいた。
19世紀以降は,スーダンとともにエジプトのムハンマド・アリー朝の支配下に入り,1899年のイギリス・エジプト協定によって,ヌビアは現在のように南北に分断されることになった。
執筆者:私市 正年
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アフリカ、スーダンのナイル川流域のヌビア地方に住む東スーダン語を話す人々の総称。人口は60~100万(推定)。ヌビア地方とは、ナイル川のワディ・ハルファの第二急流からハルトゥーム付近の青ナイルと白ナイルの合流点までの一帯をさす。ヌビアの南のコルドファン語を話すヌバとは異なるが、ヌバ丘陵に住むヌビア人の一部はヌバとみなされることがある。ヌバとヌビアは語源が同一であり、古代エジプト語で「金(きん)」を意味する「ヌブ」にさかのぼると思われる。金はアスワンの南の地方で産出され、そのためこの地方は古代エジプト人によってヌビアとよばれ、住民はヌビア人として知られていた。古代からヌビア人は肌の色によって北部の「赤いノバ」と南部の「黒いノバ」に区別されていた。「黒いノバ」は今日のヌバの祖先と考えられ、彼らの社会組織、慣習、信仰などはアフリカ的要素が強い。「赤いノバ」が今日のヌビア人の祖先と考えられる。強いコーカソイド(白色人種)の身体的特徴を示しており、起源的にはネグロイド(黒色人種)であるが、古代エジプト人やアラブ人、またトルコなどのアジア人との長い混血の歴史の結果と考えられる。ヌビアには古代からエジプトの影響を受けた国家、続いてキリスト教国家、イスラム国家などが勃興(ぼっこう)した。現在、彼らはバラブラ、ビルケド、ディリングなどいくつかの集団に分かれている。
おもに農耕を行うが、牧畜を重視する集団もある。おもな作物は雑穀のミレットやソルガム、スイカ、ヒョウタン、オクラ、ゴマなど。出自はどの集団でも父系をたどる。居住様式はだいたい夫方居住であるが、結婚後の婚姻奉仕(ブライド・サービス)の時期に、妻方居住をとる集団もある。割礼は男女とも広く行われている。すべての集団で最近まで奴隷制が残されていた。
[加藤 泰]
アフリカ北東部、エジプトのアスワンからスーダンのハルトゥームに至るナイル川流域の地をさす。六か所の急流(カタラクト)を数え、アスワンに第一急流が、ハルトゥームの近くに第六急流がある。ヌビアはとくに古代エジプトとの関係で歴史的な役割をもっていた。
古代エジプトの王はヌビア支配を基本政策とした。政治的威信のためだけではなく、軍事要員としてのヌビア人、建築材としての貴重な石材、および金がそこで入手できたからである。古王国時代(前2700ころ~前2263ころ)のエジプトとヌビアとの関係は平和的であったが、中王国時代(前2160ころ~前1750ころ)のエジプトは第二急流までを武力で制圧した。新王国時代(前1580~前1080ころ)には支配地は第四急流にまで及んだ。この時代のヌビアにおけるエジプトの城砦(じょうさい)、神殿の建設は活発であった。第19王朝時のアブ・シンベル神殿はそのなかのもっとも豪華なものであった。新王国時代が終わったあと、第四急流付近のナパタに都を置くヌビアの王はエジプト征服に乗り出し、第25王朝を建てた。約90年でこの王朝は倒れ、ヌビアの王は都をはるか南のメロエ(第五急流と第六急流の中間)に移し、ヌビア文化を開花させた。メロエ文字(未解読)とメロエのピラミッドがこうして生まれた。王国は4世紀に滅び、キリスト教が普及した。今日、第二急流までがエジプト領、それより南がスーダン領である。アスワン・ハイ・ダムで水没する地域の古代建造物は世界的規模の醵金(きょきん)で救済された。
[酒井傳六]
1979年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部]
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第1急湍(きゅうたん)上流のナイル川流域の総称。中央アフリカへの交易基地として古王国時代からエジプト化。ヌビア傭兵は著名。金,黒檀(こくたん),象牙を産し,のちにナパタ,メロエなどを中心とする独立王国もできた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…国土の中央やや東寄りを,ウガンダのビクトリア湖に発し南部国境付近山岳地帯から流れる諸河川を集めた白ナイル川が北上し,エチオピア高原に発した青ナイル川と首都ハルツームで,アトバラ‘Aṭbara川とはアトバラで,それぞれ合流し1本のナイル川となってエジプトへ抜ける。 ヌビア砂漠Ṣaḥrā’ al‐Nūbaとよばれる北部の砂漠地帯は,年間降雨量100mm以下で,岩はだの荒野が広がる。ナイル川の涸れ谷(ワジ,ワーディー)が刻まれ,東部は丘陵となって紅海沿岸山脈に至る。…
※「ヌビア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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