ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーコーツィ家」の意味・わかりやすい解説
ラーコーツィ家
ラーコーツィけ
Rákóczi
(1) ジグモンド Zsigmond 1544~1608
在位 1607~08年。ボチカイ・イシュトワーンを支持して反オーストリア蜂起に参加 (1604) ,その死後侯位を継いだ。
(2) ジェルジ1世 György I 1593~1648
在位 1630~48年。ジグモンドの末子。ベトレン・ガーボルの遺志を継いでハプスブルク家と戦い,リンツの和 (1645) によって信仰の自由を獲得,侯国最大の版図を実現した。
(3) ジェルジ2世 György II 1621~1660
在位 1648~60年。ジェルジ1世の子。ポーランド王位への野心にかられて国内の貴族や宗主国トルコの同意なしに遠征,トルコに扇動されたクリミア・タタールに敗れた。以後トルコの干渉を招き,侯国衰亡の因をつくった。
(4) フェレンツ1世 Ferenc I 1645~1676
在位 1660~76年。ジェルジ2世の子。ラーコーツィ・フェレンツ2世の父。母の影響でカトリック教に改宗。ズリニ・ペテルの反オーストリア蜂起 (1670) に参加したが,敗北。
(5) フェレンツ2世→ラーコーツィ・フェレンツ2世
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報