リオネルメッシ(英語表記)Lionel Messi

最新 世界スポーツ人名事典 「リオネルメッシ」の解説

リオネル メッシ
Lionel Messi
サッカー

サッカー選手(バルセロナ・FW)
生年月日:1987年6月24日
国籍:アルゼンチン
出生地:サンタフェ州ロサリオ
別名等:本名=Lionel Andrés Messi
受賞歴:バロンドール〔2009年〕;FIFA年間最優秀選手〔2009年〕;FIFAバロンドール〔2010〜2012年〕;UEFA欧州最優秀選手賞〔2011年〕;アルゼンチン年間最優秀スポーツ選手〔2011年〕
経歴:父親が監督を務めるチームで4歳からサッカーを始め、地元クラブのニューウェルス・オールド・ボーイズでサッカー選手として成長。幼少時から傑出した才能を見せていたが、10歳の時ホルモン分泌異常で成長が止まる病気に罹る。月900ドルの治療費がかかり、ニューウェルス・オールド・ボーイズは治療費を出すことを拒否、アルゼンチンの名門リバープレートも獲得を諦める。治療費を工面するためスペインに渡り、2000年13歳の時に両親の勧めで受けた名門クラブ・バルセロナ(愛称バルサ)のテストでスカウトされ、治療費全額をクラブに負担させるという好条件を取りつけ入団。ユースチームで実力をつけ、2003年11月ポルト(ポルトガル)との親善試合でプロデビュー。2004年10月17歳の時に対エスパニョール戦でスペインリーグにデビュー。2005年5月対アルバセテ戦で17歳10ケ月のクラブ史上最年少得点を記録。6月世界ユース選手権(現・U-20W杯)で6得点を挙げてアルゼンチンの優勝に貢献、得点王とMVPも獲得。8月ハンガリーとの親善試合でアルゼンチンA代表デビュー。後半18分に途中出場するも、40秒後にレッドカードで退場した。2006年ドイツ大会でW杯初代表となり、1次リーグ第2戦のセルビア・モンテネグロ戦に後半30分から出場、18歳357日という大会史上3番目の若さでW杯ゴールを決めた。2006〜2007年シーズン、スペイン国王杯の対ヘタフェ戦で、5人抜きした後に最後はGKを振り切ってゴールを決める。1986年W杯メキシコ大会でアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナが見せた5人抜きを再現するかのようなプレーに対し、翌日の地元スポーツ新聞は“メシア(救世主)”の見出しを付け、以来“救世主メッシ”の愛称で呼ばれるように。世界にも衝撃が走り、“マラドーナ2世”として注目を集める。2008年北京五輪でアルゼンチンの連覇に貢献。これまでは故障に泣かされてきたが、2008〜2009年シーズンは初めて故障なく乗り切り、国内リーグ、国王杯、スーパー杯と国内3冠を獲得、欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL,UFEAチャンピオンズリーグ)では大会9ゴールで史上最年少の得点王となり、UFEA最優秀選手に選出。UEFAスーパー杯、年末のトヨタ・クラブW杯を制して初のクラブ世界一にも輝き、名実ともにバルサの象徴に。この年フランスフットボール誌選定世界最優秀選手(バロンドール)と国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀選手に初選出される。2009〜2010年シーズン、2季連続のリーグ優勝と、34得点で初のリーグ得点王に輝き、欧州ゴールデンシュー(欧州リーグ全体の得点王)も獲得。マラドーナが監督を務めたW杯南アフリカ大会は“メッシの大会”ともいわれたが、自身はノーゴールでベスト8に終わる。W杯では活躍できなかったものの、リーグ連覇などクラブでの卓越したプレーが評価され、2011年1月フランスフットボール誌のバロンドールとFIFA年間最優秀選手賞が統合されたFIFAバロンドール(世界年間最優秀選手)の初代MVPに選出される。2010〜2011年シーズンは3トップの中央で新たなポジションを確立し、攻撃の起点・崩し・フィニッシュにおいて超絶的な攻撃力を発揮、得点王はクリスティアーノ・ロナウド(レアル・マドリード)に譲ったものの、3季連続のリーグ優勝を果たす。欧州CLは2季ぶりに制し、最多タイの12ゴールで3季連続の得点王に輝いた。同年8月には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出される。2012年1月2度目のFIFAバロンドールを受賞。2011〜2012年シーズン、リーグ優勝はレアル・マドリードに譲り、欧州CLも連覇を逃したが、リーグ得点王と欧州ゴールデンシュー、4季連続で欧州CL得点王となる。2013年1月3季連続でFIFAバロンドールを受賞。バロンドール4年連続受賞は元フランス代表ミシェル・プラティニを超え、4度の受賞は同代表ジネディーヌ・ジダンら名選手を上回る史上最多となった。2012〜2013年シーズンは、リーグと代表で年間最多の91得点を記録、元西ドイツ代表のゲルト・ミュラーの85得点を40年ぶりに更新。スペインリーグ最年少200得点も記録して、1年ぶりのリーグ優勝に貢献し、得点王と欧州ゴールデンシュー、リーグ年間最優秀選手を獲得した。細かいタッチを駆使した切れ味鋭いドリブルで密集を突破し、コーナーを的確に突く左足からのシュートが持ち味で、マラドーナ自身から後継者に指名されている。2007〜2012年FIFA年間ベストイレブン。169センチ、67キロ。利き足は左。

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現代外国人名録2016 「リオネルメッシ」の解説

リオネル メッシ
Lione Messi

職業・肩書
サッカー選手(バルセロナ・FW)

国籍
アルゼンチン

生年月日
1987年6月24日

出生地
サンタフェ州ロサリオ

本名
Messi,Lionel Andrés

受賞
バロンドール〔2009年〕,FIFA年間最優秀選手〔2009年〕,FIFAバロンドール〔2010〜2012年〕,UEFA欧州最優秀選手賞〔2011年・2015年〕,アルゼンチン年間最優秀スポーツ選手〔2011年〕

経歴
父親が監督を務めるチームで4歳からサッカーを始め、幼少時から傑出した才能を見せていたが、10歳の時ホルモンの分泌異常で成長が止まる病気に罹り、高額な治療費を工面するためスペインへ渡る。2000年13歳の時に名門クラブ・バルセロナ(愛称バルサ)のテストでスカウトされ、治療費全額をクラブに負担させるという好条件を取りつけ入団。2004年10月17歳の時に対エスパニョール戦でスペインリーグにデビュー。2005年6月世界ユース選手権(現・U-20W杯)で6得点を挙げてアルゼンチンの優勝に貢献、得点王とMVPも獲得。8月ハンガリーとの親善試合でアルゼンチンA代表デビュー。後半18分に途中出場するも、40秒後にレッドカードで退場した。2006年ドイツ大会でW杯初代表となり、1次リーグ第2戦のセルビア・モンテネグロ戦に後半30分から出場、18歳357日という大会史上3番目の若さでW杯ゴールを決めた。2006〜2007年シーズン、スペイン国王杯の対ヘタフェ戦で、5人抜きした後に最後はGKを振り切ってゴールを決める。1986年W杯メキシコ大会でアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナが見せた5人抜きを再現するかのようなプレーに対し、翌日の地元スポーツ新聞は“メシア(救世主)”の見出しを付け、以来“救世主メッシ”の愛称で呼ばれるように。世界にも衝撃が走り、“マラドーナ2世”として注目を集める。2008年北京五輪でアルゼンチンの連覇に貢献。それまでは故障に泣かされてきたが、2008〜2009年シーズンは初めて故障なく乗り切り、国内リーグ、国王杯、スーパー杯と国内3冠を獲得、欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL,UFEAチャンピオンズリーグ)では大会9ゴールで史上最年少の得点王となり、UFEA最優秀選手に選出。UEFAスーパー杯、トヨタ・クラブW杯を制して初のクラブ世界一にも輝き、名実ともにバルサの象徴に。この年フランスフットボール誌選定世界最優秀選手(バロンドール)と国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀選手に初選出される。2009〜2010年シーズン、2季連続のリーグ優勝と、34得点で初のリーグ得点王に輝き、欧州ゴールデンシュー(欧州リーグ全体の得点王)も獲得。マラドーナが監督を務めたW杯南アフリカ大会では活躍できなかったものの、2011年1月フランスフットボール誌のバロンドールとFIFA年間最優秀選手賞が統合されたFIFAバロンドール(世界年間最優秀選手)の初代MVPに選出される。2010〜2011年シーズンは3トップの中央で新たなポジションを確立し、攻撃の起点・崩し・フィニッシュにおいて超絶的な攻撃力を発揮、3季連続のリーグ優勝を果たす。欧州CLは2季ぶりに制し、最多タイの12ゴールで3季連続の得点王。2011年8月新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出される。2011〜2012年シーズン、リーグ得点王と欧州ゴールデンシュー、4季連続で欧州CL得点王。2013年1月3季連続でFIFAバロンドール受賞。2012〜2013年シーズンは、リーグと代表で年間最多の91得点を記録、元西ドイツ代表のゲルト・ミュラーの85得点を40年ぶりに更新。スペインリーグ最年少200得点も記録して1年ぶりのリーグ優勝に貢献し、得点王と欧州ゴールデンシュー、リーグ年間最優秀選手を獲得。主将として臨んだ2014年のW杯ブラジル大会は決勝でドイツに敗れ準優勝に終わるが、ゴールデンボール賞(最優秀選手)に選出。2014〜2015年シーズン、3冠(リーグ,コパ・デル・レイ,欧州CL)を達成し、史上初となる2度目のUEFA欧州最優秀選手賞を受賞。細かいタッチを駆使した切れ味鋭いドリブルで密集を突破し、コーナーを的確に突く左足からのシュートが持ち味。170センチ、72キロ。利き足は左。

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知恵蔵 「リオネルメッシ」の解説

リオネル・メッシ

アルゼンチン出身のプロサッカー選手。1987年6月24日、ロサリオ市生まれ。スペインのリーガ・エスパニョーラの名門クラブであるFCバルセロナに所属。2014FIFAワールドカップ・ブラジル大会のMVP。
幼少期からサッカーを始め、95年には地元クラブのニューウェルズ・オールドボーイズに入団した。11歳の時、成長ホルモンの分泌異常により身長が伸びない成長ホルモン分泌不全性低身長症と診断された。実家の家計に治療費の負担は大きく、サッカー選手としての将来も危ぶまれたが、13歳の時、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナの入団テストを受け、当時の監督であったカルロス・レシャックに認められる。クラブ側がメッシの治療費を負担することで入団が決まり、家族と共にスペインへ渡った。
カルロス・レシャックは「彼のような選手はめったなことでは世に現れない。彼を獲得したのは、それだけ彼が他と何か違っていたからだ」と語っている。
その後、スペインでの治療が実り、身長は入団時の143センチメートルから17歳の時には169センチメートルまで伸びた。
2004年10月16日、RCDエスパニョール戦で、トップチームデビュー。05年5月1日のアルバセテ・バロンピエ戦で、当時のクラブ最年少記録となる17歳10カ月7日での初ゴールを決めた。翌05~06年シーズンからはチームでのレギュラーに定着。08~09年シーズンにはロナウジーニョの退団に伴い背番号10をつけて、シーズン総計38得点。リーグ優勝、国内カップ(スペイン国王杯)、UEFAチャンピオンズリーグの3冠を獲得。09年のバロンドール、FIFA年間最優秀選手に選出された。両賞は10年から統合され、FIFAバロンドールとなったが、メッシはこれを12年まで連続受賞している。この他、リーグ得点王に3度輝くなど、小柄ながら、卓越した技術とスピードで世界を代表する選手である。
アルゼンチン代表としても活躍し、05年にオランダで開催されたワールドユース大会では、MVPを獲得した。FIFAワールドカップには、06年のドイツ大会、10年の南アフリカ大会、14年のブラジル大会に出場。18歳で迎えた06年大会はレギュラーではなかったが、アルゼンチン代表としての最年少出場、最年少ゴールを記録した。10年大会は期待を背負い5試合に出場したが無得点に終わった。14年ブラジル大会では、アルゼンチンはメッシを攻撃の軸とした戦術で挑み、24年ぶりに決勝に進んだものの、ドイツに敗れ準優勝。メッシ自身はMVPを獲得したが、「トロフィーを母国に持ち帰りたかったので、失望は大きい。勝てなければ何の意味もない」と語っている。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2014年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

367日誕生日大事典 「リオネルメッシ」の解説

リオネル メッシ

生年月日:1987年6月24日
アルゼンチンのサッカー選手

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