リーガル万吉
リーガルマンキチ
- 職業
- 漫才師
- 本名
- 寄木 昇
- 別名
- 前名=柳家 悟楼(ヤナギヤ ゴロウ)
- グループ名
- コンビ名=リーガル千太・万吉(リーガルセンタマンキチ),旧コンビ名=緑朗・悟楼
- 生年月日
- 明治27年 12月12日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 大正初年2代目柳亭燕枝(のち談洲楼燕枝)に入門、柳家悟楼を名乗り落語家をめざしたが、昭和5年ごろ漫才に転じ、相方に柳家緑朗(のちリーガル千太)を迎え、コンビで売り出した。8年コロムビアレコードの専属となり、9年リーガル万吉と改名。寄席の高座、レコードで売り、軽妙さととぼけた味で、数少ない東京漫才の第一人者となり、“しゃべくり漫才”として定評を得た。十八番は「やきとり」「ぺり住い」など。30年漫才研究会を結成。37年高座を引退した。
- 受賞
- 芸術祭賞奨励賞〔昭和35年〕
- 没年月日
- 昭和42年 7月30日 (1967年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
リーガル万吉
リーガルマンキチ
昭和期の漫才師
- 生年
- 明治27(1894)年12月12日
- 没年
- 昭和42(1967)年7月30日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 寄木 昇
- 別名
- 前名=柳家 梧楼(ヤナギヤ ゴロウ),コンビ名=リーガル千太・万吉(リーガルセンタマンキチ),旧コンビ名=緑朗・梧楼
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭賞奨励賞〔昭和35年〕
- 経歴
- 大正初年2代目柳亭燕枝(のち談洲楼燕枝)に入門、柳家梧楼を名のり落語家をめざしたが、昭和5年ごろ漫才に転じ、相方に柳家緑朗(のちリーガル千太)を迎え、コンビで売り出した。8年コロムビアレコードの専属となり、9年リーガル万吉と改名。寄席の高座、レコードで売り、軽妙さととぼけた味で、数少ない東京漫才の第一人者となり、“しゃべくり漫才”として定評を得た。十八番は「やきとり」「ペリ住い」など。30年漫才研究会を結成。37年高座を引退した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
リーガル万吉 リーガル-まんきち
1894-1967 昭和時代の漫才師。
明治27年12月12日生まれ。2代談洲楼燕枝(えんし)に入門し,柳家梧楼(ごろう)を名のる。柳家緑朗(ろくろう)(リーガル千太)とコンビをくんで漫才に転向し,リーガル万吉と改名。軽妙な話術で人気を得,昭和35年芸術祭奨励賞。昭和42年7月30日死去。72歳。東京出身。本名は寄木昇。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
リーガル万吉 (りーがるまんきち)
生年月日:1894年12月12日
昭和時代の漫才師
1967年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報