日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア暦」の意味・わかりやすい解説
ロシア暦
ろしあれき
帝政ロシアおよび革命後のソ連で行われていた暦について述べる。帝政ロシアはギリシア正教国であったため、ユリウス暦を用い、19世紀末にはグレゴリオ暦との日付の相違は13日にも達していた。1899年改暦について会議がもたれたが、改暦には至らなかった。ロシア革命後、1918年グレゴリオ暦を採用し、同年2月1日を2月14日としてスタートした。1929年、ソ連は1週7日を廃して5日とし、生産性向上の目的で、職業の種類に応じて交代勤務にし、5日ごとに休日とした。しかし男女ともに従業するソ連では夫婦の職種の違いが休日のずれになり、子女の学校休日も異なるため家族の破綻(はたん)となるなどの問題も生じた。
1932年には1週を6日とし、6日、12日といった週末日を休日とし、大月の31日は週外日、2月最終の週は4日(閏(うるう)年は5日)で打ち切りにする改正が行われた。その後、週7日になり、1967年には土・日曜日休日の週休2日制が全国一律に採用された。
[渡辺敏夫]