日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア軍艦対馬占拠事件」の意味・わかりやすい解説
ロシア軍艦対馬占拠事件
ろしあぐんかんつしませんきょじけん
1861年(文久1)2月から8月までロシア軍艦ポサドニック号(艦長ビリレフ)が、対馬芋崎(いもさき)近辺の租借権を要求して占拠した事件。その間、対馬藩は対応に追われ、警備にあたった島民が小競り合いの際に被弾し、また艦員に捕らわれた家臣が憤死するなど、緊張が続いた。幕府は外国奉行(ぶぎょう)を対馬に派遣する一方で、ロシア領事ゴシケビチと退去交渉を行い、またイギリスの圧力もあって、ようやくポサドニック号は退去した。この事件は、欧米列強の東アジア進出により日本海と東シナ海を結ぶ対馬の戦略的重要性が高まったために起こったもので、その経緯にイギリスが深く関与したのもそのためである。また、この事件を、幕末維新期の日本の植民地化の危機を示す事例とする見解もある。
[荒野泰典]
『日野清三郎著、長正統編『幕末における対馬と英露』(1968・東京大学出版会)』