現代外国人名録2016 「ロナウド」の解説
ロナウド
Ronaldo
- 職業・肩書
- 元サッカー選手
- 国籍
- ブラジル
- 生年月日
- 1976年9月22日
- 出生地
- リオデジャネイロ州ベントリベイロ
- 本名
- ルイス・ナザーリオ・ダ・リマ,ロナウド〈Luis Nazário da Lima,Ronaldo〉
- 受賞
- FIFA世界年間最優秀選手〔1996年・1997年・2002年〕,バロンドール〔1997年・2002年〕
- 経歴
- 1991年サンクリスパウゾン(リオ州2部)でデビュー。’93年クルゼイロに移る。’94年17歳6ケ月でブラジル代表デビュー、W杯米国大会出場はなかったが、ブラジル史上最年少でベンチ入り。同年クルゼイロからオランダのPSVアイントホーヘンに移籍。’96年7月約22億円(当時)でスペインのバルセロナに移籍、12月サッカー史上最高額となる総額約42億3500万円(当時)で10年契約を結ぶが、’97年5月退団。同年6月イタリア・セリエAのインテルに5年契約で移籍。’96年、’97年史上最年少の2年連続国際サッカー連盟(FIFA)世界年間最優秀選手に選ばれる。’97年度の欧州MVP(バロンドール)と最優秀FW賞を獲得。’98年W杯フランス大会ではフランスとの決勝当日に前身痙攣に襲われ、ブラジル史上初の決勝敗退の戦犯にされた。’99年7月南米選手権で優勝、大会5得点を決め、リバウドとともに得点王に輝く。同年11月右膝を負傷して手術。2000年4月、5ケ月ぶりの復帰戦となったイタリア杯決勝第1戦(対ラツィオ戦)で再び右膝を痛め、手術を受ける。2001年11月リーグ戦の対レッチェ戦でセリエAに、2002年3月対ユーゴスラビア戦で代表に復帰。2002年W杯日韓共催大会ではリバウド、ロナウジーニョとともに“3R”の一角を担い、8得点を挙げ優勝に貢献、得点王も獲得。同年9月約54億円(当時)でスペインの強豪レアル・マドリードに移籍。12月トヨタカップでクラブの世界一に貢献しMVPを獲得。同月史上初の3度目のFIFA世界年間最優秀選手に選ばれ、2度目のバロンドールにも輝いた。2003年チームのスペインリーグ優勝に貢献。2004年リーグ優勝は逃すが、得点王を獲得。2006年W杯ドイツ大会ではFWアドリアーノ、MFロナウジーニョ、カカと“魔法の4人(カルテット・マジコ)”と呼ばれる攻撃陣を形成、W杯記録の通算15得点をマークするが、ベスト8に終わった。2007年セリエAのACミランを経て、2009年母国のコリンチャンスに移籍。抜群のスピードと得点感覚、ボディバランスを併せ持つ世界屈指のストライカーとして活躍したが、近年は怪我が続き、2011年2月現役を引退。引退会見の席で、度々体重増加を指摘されていたが、甲状腺機能低下の病気であったことを明かした。W杯には3度出場し、通算15得点の最多記録を持つ。“怪物”“フェノメノ”(イタリア語で超常現象)と呼ばれた。サッカー選手として初の国連開発計画親善大使に任命されている。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報