インテル(読み)いんてる(英語表記)Intel Corp.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「インテル」の意味・わかりやすい解説

インテル(半導体メーカー)
いんてる
Intel Corp.

アメリカの半導体メーカー。おもにパーソナルコンピュータMPU(超小型演算処理装置)やネットワーク関連の製品を生産する。パソコンCPU中央処理装置)メーカーとしては最大級。本社はカリフォルニア州サンタ・クララ。

[萩原伸次郎]

歴史

1968年にアメリカの半導体産業の父とよばれるロバート・ノイスRobert Norton Noyce(1927―1990)とゴードン・ムーアGordon E. Moore(1929―2023)、アンドリュー・グローブAndrew S. Grove(1936―2016)らにより創設された。コンピュータの磁気コア・メモリーにかわる手ごろな値段の半導体メモリーの開発に着手し、1970年に開発したDRAM(ディーラム)は大型汎用(はんよう)機メーカーに歓迎された。1971年にはビジコン社とともに世界初のマイクロプロセッサー「4004」を開発した。日本の電卓メーカーのためにプロセッサーの開発をしたおりに考案されたアイデアで、1個のチップにCPUを載せるという画期的なものであった。長さ約4ミリメートル、幅約3ミリメートルほどのサイズに2300個のトランジスタが組み込まれ、約1万8000本の真空管と大きな部屋が必要であった世界初の大型汎用電子計算機「ENIAC(エニアック)」に等しい処理能力をもっていた。「4004」に続き1974年に開発された8ビットの「8080」はIBMのパソコンシリーズに採用され、マイクロプロセッサーのメーカーとしてインテルの地位が確立した。

 その後パソコンの需要は急激に増加し、1990年代には市場のパソコンの8割以上がインテルのマイクロプロセッサーを使用するまでとなり、同社の売上げは急上昇した。インテルの代表的なマイクロプロセッサーであるペンティアムPentiumは、1995年に第6世代にあたるペンティアム・プロ、1997年の5月にはペンティアムⅡが発表された。2300のトランジスタを搭載した「4004」に対し、ペンティアムⅡは750万ものトランジスタが集積されている。1998年にはセレロンCeleronを発表し、その後も新製品の開発を続けている。

[萩原伸次郎]

事業展開

インテルは1990年代において、パソコンのOS(オペレーティングシステム)ソフトの最大手マイクロソフトと提携し、市場を席捲(せっけん)した。マイクロソフトのOSであるウィンドウズWindowsとインテルの名称を合わせて「ウィンテル帝国」とよばれる地位を確立。しかし、マイクロプロセッサーの市場をめぐる性能と価格競争にはすさまじいものがあり、市場占有率で首位を維持し続けることがむずかしくなっている。インテルではマイクロプロセッサーのほか、グラフィック機能をサポートするチップセット、プリンターやコピー、ファックスなどに使う埋め込みチップ、データ保存用のフラッシュメモリーチップなども生産している。1999年、インテルはネットワーク・通信市場での事業拡大を図り、コンピュータ通信機器やシステムを供給する大手メーカーであるダイアロジック社、通信用IC(集積回路)の有力企業レベル・ワン・コミュニケーションズ社を買収した。日本へは1971年(昭和46)に進出し、1976年に日本法人としてインテルジャパンを設立。1997年2月、設立20周年を機にインテルと社名変更した。

[萩原伸次郎]

 2006年にはアップル・コンピュータ(現アップル)のマッキントッシュにもCPUが採用された。2010年売上高は436億ドルで、1992年以来、世界最大の半導体メーカーの座を維持している。

[編集部]


インテル(プロサッカークラブ)
いんてる
Internazionale Milano FC

イタリアのプロサッカークラブ。ホームスタジアムはミラノのジュゼッペ・メアッツァ(収容人員8万0065)。リーグ優勝18回、UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝3回(2010年現在)。クラブの起源はACミランと同じミラン・クリケット・アンド・フットボールクラブであるが、1908年、外国人選手加入についてクラブ内で意見の対立を生じ、クラブを離脱した役員たちによって新たに創設された。チームの正式名称はインテルナチオナーレ・ミラノであるが、通常インテルとよばれる。インテルの名が世界的に知られるようになったのは、1960年代のことである。FCバルセロナ(スペイン)の監督として、すでに名声を博していたエレニオ・エレラHelenio Herrera(1917―1997)が監督に就任し、強固なディフェンスと鋭いカウンターアタックを徹底、「カテナチオ(かんぬき、鍵(かぎ)の意味で、ゴールに鍵をかけたような堅い守りを敷くシステム)」とよばれるスタイルをつくりあげた。1964、1965年とヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(現、UEFAチャンピオンズ・リーグ)を連覇。ジャチント・ファケッティGiacinto Facchetti(1942―2006)、サンドロ・マッツォーラSandro Mazzola(1942― )、ルイス・スアレスLuis Suárez(1935―2023、スペイン)といった名プレーヤーを輩出した。1989年には、ユベントスから移った監督ジョバンニ・トラパットーニGiovanni Trapattoni(1939― )の下、ローター・マテウスLothar Matthäus(1961― 、ドイツ)、アンドレアス・ブレーメAndreas Brehme(1960―2024、ドイツ)、ラモン・ディアスRamon Diaz(1959― 、アルゼンチン)らの活躍でリーグ優勝した。その後も、ロナウドRonaldo Luiz Nazário de Lima(1976― 、ブラジル)をはじめとするスタープレーヤーの獲得を積極的に行っている。

[西部謙司]

その後の動き

2005~2006シーズン、「カルチョ・スキャンダル」による八百長問題の処分により、1位ユベントスが優勝を剥奪(はくだつ)され、2位ACミランも30ポイントの減点となり、17季ぶり14度目のセリエA優勝を果たした。以降2009~2010年シーズンまでセリエAを五連覇、2009~2010年シーズンにはUEFAチャンピオンズ・リーグでも優勝した。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インテル」の意味・わかりやすい解説

インテル
Intel Corporation

パーソナル・コンピュータ用中央処理装置 CPU「ペンティアム Pentium」シリーズで知られる世界最大手の半導体メーカー。 R.ノイス (1927~90) と G.ムーア (1929~) が 1968年設立。マイクロプロセッサDRAM (記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリ) はインテルの発明品。 1980年代に DRAM事業から撤退し,マイクロプロセッサ事業に経営資源を集約。 1990年代にはマイクロプロセッサ最大手の座をゆるぎないものにした。現在ではパソコンの CPU市場で8割超のシェアを誇る。パソコン向けオペレーティングシステム OS市場を独占するマイクロソフトとの親密な関係から,「ウィンテル Wintel体制」と批判的に呼ばれることがある。日本法人のインテル株式会社は 1976年設立。現在では CPUだけでなく,CPUと周辺機器とのデータ交換を制御する LSI (大規模集積回路) 群「チップセット」やネットワーク機器なども製造する。本社はカリフォルニア州サンタクララ。社名インテルは「integrated electronics (統合エレクトロニクス) 」に由来する。

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