ロラン夫人(読み)ろらんふじん(英語表記)Madame Roland, Jeanne Manon Philipon

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロラン夫人」の意味・わかりやすい解説

ロラン夫人
ろらんふじん
Madame Roland, Jeanne Manon Philipon
(1754―1793)

フランス革命期の政治家。パリの彫刻家の娘に生まれる。才色兼備の名高く、1780年に結婚。革命勃発(ぼっぱつ)後には夫に協力して政治に活躍。1791年からの立法議会期に彼女のサロンに集まる議員たちがジロンド派中核をなした。夫を二度も内相の地位につけるなど力を振るったが、国民公会期には山岳派モンタニャール)との抗争にも尽力、1793年3月には愛人のビュゾを代弁者として最後まであきらめず、6月自派が権力の座から追われるとともに逮捕され、革命裁判にかけられて11月処刑された。獄中で娘のために書いた『回想録』(1820年刊)は当時の記録文学の代表作といわれる。

[樋口謹一]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロラン夫人」の解説

ロラン夫人(ロランふじん)
Madame Roland(de la Platiére) (本名 Jeanne-Marie Manon Phlipon Roland)

1754~93

工業監督官で1792年以後内務大臣となったロランの妻。そのサロンジロンド派議員を集め大きな政治的影響力を持った。93年6月2日ジロンド派とともに逮捕され刑死。獄中で書かれた『メモワール』は有名。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ロラン夫人」の解説

ロラン夫人

生年月日:1754年3月17日
フランスの婦人。“ジロンド派の女王”と呼ばれた
1793年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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