革命裁判(読み)かくめいさいばん

改訂新版 世界大百科事典 「革命裁判」の意味・わかりやすい解説

革命裁判 (かくめいさいばん)

革命裁判は革命行動,とくに革命的テロ行為の一部であり,通常のないしは厳密な意味での裁判ではない。それは通常,革命の直後に,新しく権力を握った階級や統治集団が,旧支配層の反革命を抑圧ないし予防し,革命への非協力者を強制するために,つまり革命自体の自衛行動として行う非常手段である。したがって,それはしばしば残虐な流血行為に転化し,裁判手続は単なる形式もしくは儀礼と化することが少なくない。

 革命裁判は近代以降の革命のほとんどすべてに随伴しており,とくにフランス革命におけるそれが有名であるが,20世紀においてはソ連と中国の事例が典型的である。ロシアでは十月革命の6週間後〈反革命・サボタージュと闘う〉ための全ロシア非常委員会(チェーカー)が生まれ,その数日後〈労農政府に対する蜂起を組織する者,政府に積極的に反対し,あるいは服従しない者,政府への反対や不服従を教唆する者〉を裁くために,革命裁判所が設立された。この裁判所が〈事件の情況と革命的良心の命ずるところ〉とに従って刑を定めるとされたことは象徴的である。チェカーと軍事革命裁判所とが革命裁判所を構成したが,内外の反革命勢力が鎮圧され,ネップ(新経済政策)への移行が始まった1922年に前者GPU(ゲーペーウー)(国家政治保安部)に改組され,後者は廃止された。中国では1950年から54年にかけての土地改革運動,反革命鎮圧運動,三反五反運動の過程の中で革命裁判がおこなわれたが,そこでの特色は,人民法廷という名の特別裁判所が法令によって設けられたほかに,法令に定められていない公審大会,闘争会,糾察会などの大衆集会が裁判所の機能を果たしたことで,〈悪徳地主,反革命分子などは,大衆の吊し上げの後で判決が下され,死刑判決はその場で執行された。この過程(1954年まで)で死刑になった〈人民の敵〉は,約80万,労働改造または管制の処分に付されたもの数百万と見積もられている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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