日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ワシントン・ナショナルズ
わしんとんなしょなるず
Washington Nationals
アメリカのプロ野球球団。ナショナル・リーグ所属(東地区)。フランチャイズをワシントンDCに置き、ナショナルズ・パークを本拠地としている。球団名の変遷は、モントリオール・エクスポズ(1969年)―ワシントン・ナショナルズ(2005年)。
2地区制の導入とともに両リーグで球団数の拡張が行われた1969年に、カナダのモントリオールに史上初めてアメリカ以外の国をフランチャイズとする球団として発足し、東地区所属となった。球団創設当初は、ラスティー・ストーブRusty Staub(1944― )が強打を振るって人気を博した。1971年を最後にストーブはニューヨーク・メッツへ移籍するが、74年に強打の捕手ゲーリー・カーターがデビュー。1977年には本拠地としてオリンピック・スタジアムが開場した。この年からレギュラーとなった俊足強打のアンドレ・ドーソンAndre Dawson(1954― )が、カーターとともに中心選手となり、1981年にはプレーオフに進出した。この年はストライキで前、後期制となり、後期優勝して前期優勝のフィラデルフィア・フィリーズと5試合制の地区優勝決定プレーオフで対戦し、3勝2敗で勝って地区優勝した。しかし、ロサンゼルス・ドジャースに負けてリーグ優勝はできなかった。また、同年、88試合の出場で盗塁71を記録してタイトルを獲得したティム・レインズTim Raines(1959― )が、1984年まで4年連続盗塁王となった。両リーグ3地区制が導入された1994年からも東地区所属となった。この年は、投手ではケン・ヒルKen Hill(1965― )、ペドロ・マルチネス、打者ではモイセス・アルーMoises Alou(1966― )、ラリー・ウォーカーなどの活躍で、強豪アトランタ・ブレーブスを抑えて首位となりながら、ストライキでシーズン打ち切りとなったため、優勝扱いにはならなかった。1995年以降は、主砲ウラジミール・ゲレーロの台頭などもあったが、96年の2位を最高に下位に低迷。2001年にはフランク・ロビンソンを監督に迎えたが、04年までの4シーズンで思うような結果を残すことはできなかった。その間、2001年のシーズンオフには球団移転問題が浮上。ひとまず残留することになった2002年に、オーナーだったジェフリー・ロライアJeffrey Loriaがフロリダ・マーリンズを買収してチームを乗り換え、球団経営をメジャー・リーグ機構が引き継いだ。2005年からはフランチャイズをワシントンDCに移転し、ワシントン・ナショナルズとして再出発した。なお、2001年から05年にかけて、大家友和投手がプレーした。
[山下 健]
2005年以降
ナショナルズとして1年目の2005年は最下位。翌06年には3年連続の最下位となり、シーズン終了後にロビンソン監督が勇退。新体制となった2007年は4位に終わった。なお、そのほか日本人選手では、伊良部秀輝(いらぶひでき)投手(2000~01年)、吉井理人(まさと)投手(2001~02年)がプレー。
1969年から2007年までの通算成績は、2980勝3204敗、地区優勝1回、リーグ優勝0回、ワールド・シリーズ優勝0回。
[編集部]