日本大百科全書(ニッポニカ) 「大家友和」の意味・わかりやすい解説
大家友和
おおかともかず
(1976― )
プロ野球選手(投手:右投左右打)。横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)、大リーグ(メジャー・リーグ)のボストン・レッドソックス、モントリオール・エクスポズ(現、ワシントン・ナショナルズ)、ミルウォーキー・ブリュワーズ、トロント・ブルージェイズなどで投手としてプレー。制球力と粘り強さを身上とする。
3月18日、京都府に生まれる。京都成章高から1994年(平成6)、ドラフト3位でベイスターズへ入団。同年は15試合に登板して1勝1敗、防御率4.18の成績をあげたものの、1995年は3試合で勝敗なし、1996年は14試合に登板したが0勝1敗、1997年は一軍に昇格できず、1998年も2試合しか登板できなかった。しかし1998年オフ、自由契約となってレッドソックスへ入団すると急成長した。1999年はまず、マイナー・リーグのAA級からスタートしたが8勝0敗でAAA級へ昇格。そこでも7勝0敗と、計15連勝をマークして、シーズン終盤にはレッドソックスで大リーグにデビュー、初勝利もあげた。期待された2000年は、完全試合を達成するなどAAA級では9勝6敗と好成績をあげたが、大リーグでは3勝6敗に終わった。2001年も2勝5敗と大リーグ定着に失敗し、シーズン途中でエクスポズにトレードされた。スター選手がそろうレッドソックスとは違いエクスポズが若手中心だったこともあり、2002年は先発の一角を任されてチーム最多の13勝をマーク。防御率3.18もリーグ7位となった。そのオフには、日本で行われた日米野球にも出場した。2003年も2桁(けた)となる10勝をマーク、2004年は打球を受けて右腕を骨折し、3勝に終わった。そのオフ、チームはワシントンへ移転し、2005年からはワシントン・ナショナルズの選手として再出発したが、シーズン途中にブリュワーズに交換トレードで移籍した。ブリュワーズでは先発ローテーションの一角を担い、2年ぶり3回目の2桁勝利(11勝)を記録した。
[山下 健]
2006年以降
2006年は右肩の故障などで登板は18試合。すべて先発であったが、4勝5敗、防御率4.82の成績でシーズンを終えた。2007年はトロント・ブルージェイズでプレー。4月の対テキサス・レンジャーズ戦で、日本人投手としては野茂英雄に次ぐ2人目の大リーグ通算50勝を達成した。しかし、10試合の先発登板で2勝5敗という成績に、シーズン途中の6月、ブルージェイズから戦力外を通告された。その後、セントルイス・カージナルスやシアトル・マリナーズ、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約し、2009年にインディアンスで大リーグ復帰、1勝5敗の成績を記録した。2010年はメキシカンリーグのチームに入団したが、同年4月には日本球界に復帰、横浜ベイスターズと契約し、2011年(平成23)までの2シーズンで7勝15敗の成績を残した。2011年12月自由契約となった。
日本での7年間の通算成績は、登板試合63、投球回211と3分の2、8勝17敗、防御率5.23、奪三振112、完投1、完封0。2009年までの大リーグ通算成績は、登板試合202、投球回1070、51勝68敗、防御率4.38、奪三振590、完投5、完封1。
[編集部]