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ウィルヘルム・フォン・ホラント ウィルヘルム・フォン・ホラントWilhelm von Holland

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウィルヘルム・フォン・ホラント
Wilhelm von Holland

[生]1227/1228. ライデン
[没]1256.1.28.
ドイツの対立王 (在位 1247~56) 。ネーデルラントのホラント (オランダ) 伯。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対抗して教皇派 (→教皇派と皇帝派 ) によって王に選ばれたが (皇帝位は教皇から承認されなかった) ,支持者は少なかった。 1254年にドイツ王コンラート4世が死ぬと,正式に王として認められるようになったが,その地位は不安定であった。 56年フリースラントの戦闘で戦死,以後 73年まで神聖ローマ帝国大空位時代が続いた。

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世界大百科事典内のウィルヘルム・フォン・ホラントの言及

【シュタウフェン朝】より

…彼の壮大な政治理念は,イタリアを中心とする地中海帝国の形成にあり,ドイツの統治は長子ハインリヒ7世,次子コンラート4世Konrad IV(ドイツ国王,在位1237‐54)にまかせた。フリードリヒの命とりになったのは教皇との対立であり,異端の烙印をおされ,教会の迫害者として破門された彼に対抗して,ドイツでは1246年ハインリヒ・ラスペが,1247年にはウィルヘルム・フォン・ホラントWilhelm von Hollandが国王に選出された。フリードリヒが死去するとともに,シュタウフェン家の勢いは落日の早さで落ち,シチリアを手中にするため遠征したコンラート4世が1254年他界した後には,同家からのドイツ国王候補は現れなかった(大空位時代)。…

※「ウィルヘルム・フォン・ホラント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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