オランダ西部,南ホラント州の都市。オランダ読みはレイデン。人口11万8563(2005)。中世以来オランダの代表的な毛織物工業都市として有名であるが,現在では金属加工業,食品加工業,印刷業などが重要な工業になっている。またオランダでは最古の大学都市であり,学術研究に関連した出版なども市の重要な機能となっている。郊外では球根栽培も盛んである。11世紀まではライン川の分流の一つがここを流れており,それに沿ってホラント伯が城砦を築いた。これが核となってしだいに発展し,1266年に都市法を得て都市となったが,実際にはもっと以前から都市として認められていたらしい。14世紀後半から毛織物工業が発展したが,16世紀半ばには一時完全に衰退した。しかしオランダ独立戦争の過程でフランドルやブラバント地方から多くの難民が市内に流れ込み,新しい毛織物工業を伝えた。そのため16世紀末から17世紀にかけて再び毛織物工業がめざましく発展し,17世紀には西ヨーロッパ最大の毛織物工業都市に成長した。それに伴い人口も急増し,17世紀にはアムステルダムに次ぐオランダ共和国第2の大都市となった。独立戦争中の1573-74年にスペイン軍に約1年間にわたって包囲,攻撃され,市民は飢えと疫病に悩まされたが,74年10月3日に水門を破壊してスペイン軍を水攻めにし,ついに退散させた。そのため10月3日は今でも市の祝日となっており,盛大なパレードが行われる。同国最古のライデン大学はこの勝利を記念して1575年に設立された。同大学にはオランダで唯一の日本学・韓国学センターが置かれている。市内には日本にもなじみの深い国立民俗学博物館をはじめ,風車博物館,市立博物館,自然史博物館など博物館が多い。また大学付属の薬用植物園も1587年の創立と古く,ここにはシーボルトが日本で採集した植物もある。ライデンはまたオランダ最大の画家レンブラントの生まれた町でもある。
執筆者:佐藤 弘幸
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オランダ西部、ゾイト・ホラント州にある大学都市。「ライデン」は英語あるいはドイツ語式の読み方で、オランダ語では「レイデン」のほうが原音に近い。人口11万7022(2001)。ライン川の分流オウデ・ライン川沿いに位置する。郊外の砂丘地は球根栽培で知られ、市内には繊維、食品、出版・印刷などの軽工業がみられる。ローマ時代に起源を有し、中世にはホラント伯の城砦(じょうさい)が建設され、1266年に都市権を得た。しかし町の本格的な発展は毛織物工業の成立した14世紀以降で、とくにフランドルから織物職人が大量に流入した16~17世紀には西ヨーロッパ最大の毛織物工業都市に成長し、人口はアムステルダムに次いで約10万人に達した。オランダ独立戦争中の1573~74年にスペイン軍に包囲されたが、堤防を切断し洪水を引き起こして撃退した。この功績によって、翌75年オラニエ公ウィレムがオランダ最初の大学であるライデン大学をこの地に創設した。しかもその直後にグロティウスらの学者を輩出したため、ヨーロッパの学術的中心地の一つになり、カルバン派神学、医学、東洋学などの分野で業績をあげた。水路網の発達した市内には城跡や後期ゴシック様式のホーフランセ教会、16世紀の市庁舎などがあり、シーボルト・コレクションを蔵する民族学博物館をはじめ多くの博物館、大学施設の植物園、日本学・韓国学センターなども立地する。レンブラント、ヤン・ステーンら著名な画家の生地。北アメリカへ移住する直前の10年間、ピルグリム・ファーザーズはここに住んでいた。
[長谷川孝治]
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