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教皇派と皇帝派 きょうこうはとこうていはGuelfi e Ghibellini

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

教皇派と皇帝派
きょうこうはとこうていは
Guelfi e Ghibellini

中世イタリアに出現した2つの対立する党派。 13世紀のドイツで,オットー4世とフリードリヒ2世による神聖ローマ帝国とドイツの王権をめぐる確執は,フリードリヒ2世がシチリア王と神聖ローマ皇帝の称号を得てイタリア経営に乗出すことにより教皇との争いに発展した。ここからオットー4世の出たウェルフェン家 Welfenから転化したグェルフィ (ゲルフ) と呼ばれる「教皇派」と,ホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世を支持するギベリーニ (ギベリン) と呼ばれる「皇帝派」の2党派がフィレンツェに生じた。後者の呼称の由来は,代々皇帝を輩出したホーエンシュタウフェン家の居城ワイベリンゲン Waibelingenのイタリアなまりといわれる。 13世紀中頃まではトスカナ地方でのみ使用された党派名であったが,その後諸都市内部の有力家系の党派闘争を生み,一都市をこえた連合戦線が形成されるようになった。フリードリヒ2世の没後,皇帝派はその私生児マンフレートと教皇派のフランス王ルイ9世の弟アンジュー伯シャルル (シャルル1世 ) が,1266年の決戦で覇を争い,シャルルの勝利に終ったため,皇帝派ホーエンシュタウフェン家のイタリア支配の野望は挫折し,アンジュー家が教皇派の指導者として勢力を伸ばした。

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