出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… はやくも1680年にモントリオール付近の急流を航行するための運河が掘られているが,各地に急流があるセント・ローレンス川の水深を掘り下げ,船の航行を容易にすることは沿岸の発展のための長い間の懸案だった。エリー湖とオンタリオ湖の間のナイアガラ滝を迂回するウェランド運河Welland Canalが1829年に開通して,大西洋から直接大陸内部へ入る航路が開かれた(数度の改良工事が行われ,現在の運河は全長43km,両湖間の99mの落差を八つの閘門(こうもん)を設けて航行可能にしている)。19世紀末からカナダとアメリカの間でセント・ローレンス川の水路改良に関して交渉がつづけられていたが,たびたび計画が遅延し,ようやく1954年水路開削と水力発電ダム建設の工事が開始され,1959年,セント・ローレンス水路Saint Lawrence Seawayが完成した。…
…これによって五大湖からハドソン川を経てニューヨークに至る一連の航路が創造されたので,西部内陸の農業はにわかに発展期に入り,この運河の成功はいわゆる運河ブームを引き起こした。イギリス領カナダでは,モントリオール以西のセント・ローレンス川の急流部に沿って多くのラテラル運河をつくり,またウェランド運河を開削して,約100mの水位差をもつエリー,オンタリオ両湖がはしけによって結ばれた。さらにスペリオル,ヒューロン両湖を結ぶセント・メリーズ川にスー運河(1855)が開かれ,大型湖上汽船による鉄鉱石の輸送がはじまった。…
…南西部でエリー湖からの水がナイアガラ滝をなして流入する。エリー湖とはウェランド運河(1932完成)によって結ばれ,北東部からセント・ローレンス水路(1959完成)によって排水され,重要な輸送路をなす。湖岸にはトロント,ハミルトン,ロチェスターなどの工業都市が発達する。…
… はやくも1680年にモントリオール付近の急流を航行するための運河が掘られているが,各地に急流があるセント・ローレンス川の水深を掘り下げ,船の航行を容易にすることは沿岸の発展のための長い間の懸案だった。エリー湖とオンタリオ湖の間のナイアガラ滝を迂回するウェランド運河Welland Canalが1829年に開通して,大西洋から直接大陸内部へ入る航路が開かれた(数度の改良工事が行われ,現在の運河は全長43km,両湖間の99mの落差を八つの閘門(こうもん)を設けて航行可能にしている)。19世紀末からカナダとアメリカの間でセント・ローレンス川の水路改良に関して交渉がつづけられていたが,たびたび計画が遅延し,ようやく1954年水路開削と水力発電ダム建設の工事が開始され,1959年,セント・ローレンス水路Saint Lawrence Seawayが完成した。…
※「ウェランド運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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