カナダのモントリオールとオンタリオ湖間のセント・ローレンス川と並行してつくられた可航水路。セント・ローレンス水路の名称は、スペリオル湖あるいはミシガン湖からセント・ローレンス川を経て大西洋に出る全長約3700キロメートルの水路や、モントリオール―スペリオル湖間の水路をさしていう場合もあるが、ここではモントリオール―オンタリオ湖間の新水路に限って解説する。延長約337キロメートル、水位差75メートル。この区間は急流部が多く、船の航行が妨げられていたが、合計7個の閘門(こうもん)をもつ3区間の運河を開削することによって、大西洋から五大湖まで2万7000重量トン級までの航洋船舶の直通が可能となった。19世紀前半までに、急流の区間には並行するはしけ用の運河がつくられていたが、1954年に航洋船の直通できる水路の建設が着手され、カナダおよびアメリカ合衆国政府の協力によって1959年に完成した。アメリカは上流部に2個、カナダは中流部に5個の閘門を建設し、各閘門は長さ234メートル、幅24メートル、深さ9メートルの容量がある。この結果、五大湖沿岸からヨーロッパに向かう穀物、ラブラドルから五大湖沿岸に向かう鉄鉱石などの直通輸送が可能となり、五大湖沿岸のすべての主要な港湾で貿易量が増加した。しかし冬期の結氷、および商船(とくにコンテナ船)の大型化によって通航ができない船が多いことなどは、大きな問題点となっている。
[青木栄一・青木 亮]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…運河の意味を広くとれば灌漑,排水,用水,運輸などを目的として人工的に開削された水路のすべてを含むが,ここでは交通用のものに限って述べる。ただしアジアの米作地域や乾燥地域では,農業用の人工水路が小船の交通路を兼ねている例も多く,用途の厳密な区別はつけにくい。エジプトでは西暦紀元をかなりさかのぼる時代に,ナイル・デルタからスエズ湾頭に達するいわゆる〈ファラオの運河〉がつくられて船舶の往来に利用された。ほかに古代オリエント諸国やローマ帝国でも小規模な運河が各地に開かれた。…
…1722年,イギリス人によって五大湖沿岸最初の交易所がここに建設された。1917年のバージ運河の完成と59年のセント・ローレンス水路の完成により,オンタリオ湖沿岸の重要な港となった。【菅野 峰明】。…
…南西部でエリー湖からの水がナイアガラ滝をなして流入する。エリー湖とはウェランド運河(1932完成)によって結ばれ,北東部からセント・ローレンス水路(1959完成)によって排水され,重要な輸送路をなす。湖岸にはトロント,ハミルトン,ロチェスターなどの工業都市が発達する。…
…エリー湖とオンタリオ湖の間のナイアガラ滝を迂回するウェランド運河Welland Canalが1829年に開通して,大西洋から直接大陸内部へ入る航路が開かれた(数度の改良工事が行われ,現在の運河は全長43km,両湖間の99mの落差を八つの閘門(こうもん)を設けて航行可能にしている)。19世紀末からカナダとアメリカの間でセント・ローレンス川の水路改良に関して交渉がつづけられていたが,たびたび計画が遅延し,ようやく1954年水路開削と水力発電ダム建設の工事が開始され,1959年,セント・ローレンス水路Saint Lawrence Seawayが完成した。その結果,モントリオールからスペリオル湖まで,2万7000トンの積載能力をもつ外洋船が,16の閘門を通って180mの落差を遡航(そこう)することが可能になった。…
…市名は市の中央部にあって,それを取り巻くように市街が発達している木立に覆われた〈王様の山Mont Royal〉(モン・ロアイヤル,英語ではマウント・ローヤル,標高233m)に由来する。 カナダ最大の河湾都市として重要で,五大湖と大西洋を結ぶセント・ローレンス水路(1959開通)の出入口に当たり,小麦,木材,酪製品,毛皮,機械などを輸出する。またトロントとならぶカナダ最大の工業都市であり,自動車,航空機,金属,電気機器,食品,繊維,石油精製などの工業が発達し,二つの国立銀行の本店や株式取引所がある商業,金融の中心地となっている。…
※「セントローレンス水路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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