世界三大海洋のうち第2位の大洋で,西は南北アメリカ大陸,東はヨーロッパ・アフリカ大陸,南は南極大陸に囲まれ,北は北極海に続く。北極海,バルト海,ハドソン湾,地中海,黒海,メキシコ湾,カリブ海を除くと,面積8325.4km2(太平洋の約半分),容積3億2369万7000km3,平均水深3926m,最大水深はプエルト・リコ海溝で8385mである。開いた付属海として北海やセント・ローレンス湾がある。なお南極大陸から南極収束線(大西洋では南緯50°付近)までの海を南極海と呼ぶ。南極海は大西洋,インド洋,太平洋の一部であるが,この海域の気象,海流,生物分布などについては〈南極海〉の項を参照されたい。
大西洋底を最も特徴づけるのは,そのほぼ中央を南北に走る大西洋中央海嶺である。ドイツのメテオール号の航海(1925-27)によってその地形・地質学的特徴が明らかにされて以来,北はアイスランドを経て北極海まで,南はアフリカ南方を通ってインド洋に続くことがわかった。その中軸に沿ってしばしば中軸谷が発達し,1973,74年のFAMOUS(フエイマス)計画では深海潜水艇シエナ号,アルキメデス号により,噴出したばかりの溶岩流が認められている。中軸部を中心に東西両方向に深度を増し,水深5000mを超す海盆にいたる。同海嶺は,ロマンシュ断裂帯などで代表されるように,多数の,一種の横ずれ断層(トランスフォーム断層)で横断されている。
以前に,大西洋両岸の海岸線の形状,両岸域の地質構造や現生陸上動物の類似性などをヒントにA.ウェゲナーが唱えた〈大陸移動説〉は,中央海嶺直下でマントルが上昇し,次々と溶岩流を噴き出し,それが海洋底基盤(プレート)となって側方に広がり大西洋が拡大していったとする説で復活した。中生代末に北大西洋が,ジュラ紀末に南大西洋が拡大しはじめたが,その海洋プレートは両側の大陸プレートと一連であるため,大陸との間に,海洋プレートの潜り込みで生じる海溝も,深発地震帯や火山帯などの造山帯も存在しない。大西洋の3海溝,ケイマン,プエルト・リコの両海溝やサウス・サンドウィッチ海溝は,それぞれ北アメリカプレートと南アメリカプレート,南アメリカプレートと南極プレートの移動のずれで生じた,と考えられている。
大西洋における大洋島の数は限られているが,その多くは大西洋中央海嶺上のものか,その分枝海嶺上のものである。南大西洋中央部を横断するリオ・グランデ海台とウォルビス海嶺は,ジュラ紀末以来,中央海嶺上で断続的に噴出形成されてきた火山島ないし海山が,海底拡大とともに西および東方へ移動することでつくられたとする。海嶺上に現在あるトリスタン・ダ・クーニャ島は,そのうちの最も新しい大洋島である。
大西洋周縁部には,海洋プレートの潜り込みによる堆積物の沈み込みがないこと,面積の割に流入河川流域が広い(太平洋の3倍)こと,第四紀氷河による削剝・海台形成が顕著(特に中・高緯度地方)なことなどのため,大陸棚がよく発達する。
大西洋底には,石灰質プランクトン遺骸に富む泥質堆積物ないし石灰質軟泥が広く分布する。そうした遺骸が溶けてしまった残渣や,海底火山分解物,その他よりなる褐色粘土は,水深約5000m以下の海盆に限られる。この石灰質消失水深は太平洋では平均して約4000mである。ケイ藻を主とするケイ質軟泥は,南半球極前線周辺に帯状をなす点は太平洋と同様であるが,北大西洋にはほとんど見られない特徴がある。大陸棚外縁に源を発するタービダイトなど陸源性堆積物の分布が北大西洋では顕著である。また,中央部では乾燥地域における砂あらしで巻き上がった陸源物質が風で運ばれて大西洋を横断し,混入している。
→海底堆積物
石油・ガス田は,生物遺骸を多く含む厚い堆積層の発達を必要とするため,現在は北海,メキシコ湾北岸沖,南アメリカ北岸沖(特にオリノコ川沖),コンゴ川沖よりニジェール川沖にかけてのアフリカ西岸沖などで,開発・採取されている。海底マンガン鉱床は,マンガン団塊が海底面上で海水に長期間さらされて生成されるため,全般的に堆積速度の速い大西洋では,太平洋ほど豊富ではない。バルト海,ブレーク海台からフロリダ半島沖にかけての北アメリカ東岸沖,南大西洋ではリオ・グランデ海台からウォルビス海嶺にかけて,またスコシア海周辺に,まとまった分布が認められている。南アフリカ西岸沖には,陸上から流出して漂砂鉱床をなすダイヤモンドの産出がある。
執筆者:氏家 宏
大西洋の特徴の一つは海水の塩分が高いことである。その平均値は34.90‰で,太平洋の平均値34.62‰,インド洋の34.76‰より高い(全海洋の平均値は34.72‰)。そのおもな理由はつぎの三つである。(1)熱帯大西洋から蒸発した水蒸気は貿易風にのって西へ運ばれ,パナマ地峡の上を通り,太平洋に雨となって落ちる。パナマ湾の降水量は700cm/年をこえ,世界でも最も雨が多い場所の一つになっている。(2)ヨーロッパ大陸やアフリカ大陸の西部には南北に走る大山脈がないので,中緯度海域から蒸発した水蒸気は偏西風にのって遠く大陸内部に運ばれる。大西洋を起源とする水は広く大陸内部に分布する。これに反して,たとえば太平洋ではその東側をロッキー山脈とアンデス山脈が南北に走っているために,太平洋起源の水蒸気は東進を阻まれ,雨または雪となって地上に落ち,すぐに太平洋に戻ってしまう。(3)地中海は雨が少なく蒸発が盛んなので塩分は高い。地中海で濃縮された海水は大西洋に流れ出るので,大西洋はいわば地中海という濃縮槽をもっていることになる。インド洋に対する紅海の働きもこれに近いが,インド洋と紅海の間をゆききする水の量は多くないから,濃縮槽としての働きは弱い。
→海水
塩分が高い水は重い。水温が0℃前後になると熱膨張率は非常に小さくなるため,塩分の変化が海水の密度を大きく左右する。表層で重い水がつくられ,深層にまで沈んでいく海域は世界中で2ヵ所,ウェッデル海(南極海の一部で南大西洋側に面している)と北大西洋北部だけであるが,そのおもな理由は大西洋の塩分が高いことである。ウェッデル海から沈み込んだ水(南極底層水)の一部は北大西洋の北緯45°あたりにまで達している。残りは北大西洋北部から沈み込んだ水(北大西洋深層水)とともにアフリカ大陸の南を東に進み,インド洋と太平洋の深層に広がる。残りはさらに東に進み南極海を一周する。この一周する流れは南極海流の一部と見ることができる。ウェッデル海と北大西洋北部で起きる沈降にともなって深層だけではなく表層の海水も動き,大規模な対流を形成する。対流が強いということが大西洋の循環の特徴である。赤道の北を北赤道海流が,南を南赤道海流が西向きに流れるが,アフリカのギニア沖では東向きの弱い赤道反流が流れる。赤道ではほぼ南緯1°から北緯1°にわたって,深さ100mあたりを中心として厚みが100~200m程度の東向きの強い流れ(赤道潜流)が存在し,毎秒約3000万tの水を運んでいる。北アメリカ大陸の東岸沖を北上するのが湾流で,毎秒6000万~1億tの水を運ぶ。運ぶ水量では湾流は南極海流に次ぐ世界第2位の大海流である。北大西洋の中央,アゾレス諸島までの流れが湾流であるが,その影響は遠く西ヨーロッパ,北ヨーロッパ,北極海にまで及び,これらの地域,海域の気候をやわらげている。南アメリカ大陸の東岸沖ではブラジル海流が南下するが,湾流ほどには強くない。北半球とはちがって南半球では大西洋も太平洋も南極海に向かって広く開いており,海岸線が南北方向に長く延びないために,海流のありさまも赤道をはさんで両半球で完全には対称にならない。
→海流 →海洋大循環
メキシコ湾,カラカス,プエルト・リコ,リオ・デ・ジャネイロの近くを除けば半日周期が卓越する。大潮での平均潮差(平均大潮差)は,半日周期についてはファンディ湾で14mあまり,英仏海峡で10mあまり,パタゴニア沖で7.5mに達する。これらの海域で1日周期の平均大潮差は数十cmにすぎない。英仏海峡に流れ込むランス川の河口では,大きな潮差を利用した潮汐発電が1966年から続けられている。また,北大西洋北部は強い風が吹くので波がよく発達する。そのエネルギーは波の進行方向に面した1m当り500MW/年をこえ,波エネルギー利用の点では世界中で最も恵まれている。日本近海では400MW/年たらずである。
北大西洋南西部に発生する熱帯低気圧のうち強力なものをハリケーンと呼ぶ。発生数は1年に10個にならないのがふつうである。熱帯低気圧が海岸に近づくと,海水は強い風によって海岸に吹き寄せられるとともに低い気圧によって上に向かって吸い上げられ,海岸の水位が異常に高くなる(高潮という)。高潮はハリケーンが通る北西大西洋やメキシコ湾だけではなく,温帯低気圧が通る北海やバルト海でも起きる。熱帯低気圧にくらべて温帯低気圧はゆっくり進むので,水位はゆっくり高くなり,高い水位が長く続く。北西太平洋も高潮に襲われることがあるが,同じ程度の強さの熱帯低気圧のもとでも大西洋の高潮のほうが水位が高く,しかも長く続く傾向がある。海底地形のちがいによると思われる。季節風が吹くのは,インド洋や東南アジアほどにははっきりしないが,ギニアの西方とラブラドル海の一部にすぎない。フロリダ半島周辺,ポルトガル西方,地中海西部には季節風の傾向が見られる。
執筆者:高野 健三
大西洋は南北で両極洋に連なり,赤道の南北に熱帯から寒帯までの海洋生物気候帯がほぼ緯度に平行して見られるが,湾流の続流が北大西洋海流となって北欧海域に達するためにヨーロッパ北西隅沿岸の海中気候が高緯度の割には温暖となり,生物の分布もそれに支配されている点は太平洋とは著しく異なる。北大西洋の東西岸が一連の海洋生物地理区となる点では太平洋の場合と同じであるが,中緯度,低緯度の沿岸浅海生物相でも東西両岸にあまり著しい差がなく,多くの共通種が見られることは太平洋の場合とまったく異なる。
表層の植物プランクトンによる基礎生産量は,太平洋と同様に縁辺部には大洋としては高い生産量を示す富栄養域(炭素にして250mg/m2・日)が存在するが,その沖合の中栄養域(炭素にして100~250mg/m2・日)の部分が赤道以北では中央部まで広がり,貧栄養域(炭素にして100mg/m2・日以下)がフロリダ東方沖合の環流部に当たるサルガッソー海に局限されていることは,太平洋とは著しい対比が見られる点である。サルガッソー海は大西洋における〈うなぎ〉の産卵場として知られ,孵化(ふか)した幼生は成長しながら北アメリカ東岸やヨーロッパに向かって運ばれる。
赤道以南は太平洋に似て貧栄養域も広く,また東西両岸の浅海生物相も異なっていて,海洋生物地理学の上で〈中央大西洋障害Mid Atlantic Barrier〉の存在が想定されている。
執筆者:堀越 増興
1979年のFAO(国連食糧農業機関)の統計によれば,海獣,海藻を除いた世界の総漁獲量は7129万t,大西洋では2491万tであり,全海面漁獲量の34.9%を占める。これは海区面積比28.4%に比べて多い。表からわかるように,その漁獲量の47%を北東海区(面積比16.5%)で得ている。北東海区は,FAO海区面積当り漁獲量としては0.69t/km2になり,太平洋北西区に次いで多い。その4分の1はシシャモ近縁種で289万t(北西区も含めて293万t,魚種別漁獲量第3位),マダラ近縁種147万t(北西区を含め203万t,魚種別漁獲量第5位),タラ110万tと続く。ムラサキイガイは30万tで,魚種別漁獲量として世界の96%を占める。褐藻の採取量は17万tで世界の7.7%にすぎないが,大西洋全体の92%になる。このうちノルウェーで10.6万tを得ている。次いで面積当り漁獲量の多いのは0.55t/km2の北西区で,マダラ近縁種56万t,メンヘーデン(オオイワシ)28万t,ニシン近縁種とホタテガイ近縁種各21万tが漁獲されている。同海区におけるイカ類の漁獲量は太平洋北西区に次いで多く,17.7万tで全海面の11%,大西洋の35%に達する。イセエビ,ウミザリガニ類の84%は大西洋で獲られ,ウミザリガニの34%は北西区で,イセエビ近縁種の23%はカリブ海で獲られている。クルマエビ類もカリブ海に多いが,世界の11%程度である。
アフリカ南西岸を北上するベンゲラ海流も栄養塩に富む深層水を湧昇させて高い植物プランクトンの生産(炭素にして数g/m2・日)があり,これに支えられてたくさんの動物プランクトン(湿重量にして0.5g/km2以上)が表層水に生息する。また魚群密度も濃い。しかし太平洋南東区と異なり漁獲量は多くない。このように本海区や南アメリカ東岸には未開発な漁業資源が多い。とくにイワシ,サバ,カツオ,タラ,イカ,甲殻類などの開発が期待されている(1993年のFAOの統計によれば,世界の総漁獲量は8425万t,大西洋では2339万tで27.8%を占めた。そのうち大西洋北西区で1079万tの漁獲量があり,46%を占める。次いで中東区(294万t),北西区(238万t),南西区(219万t)の順となっている)。
→漁場
執筆者:二村 義八朗
天動説や地球が球ではなく平面だとする説が信じられていた時代のヨーロッパでは,大西洋の彼方には沸騰する海や大滝があり,怪物や怪魚や悪魔が棲んでいると考えられていた。大西洋上にあったとされる大陸アトランティスにかかわる伝説(アトランティス伝説)は,とくによく知られてもいる。ポルトガル王室の支援する探検者たちがしだいにアフリカ西岸を南下,1488年にB.ディアスがのちの喜望峰にまで到達したころには,アフリカ沿岸の大西洋の状況がかなり明らかになっていた。しかし,イベリア半島を中心とするヨーロッパ諸国が,南大西洋を内海として,中・南米とアフリカを含む大経済・文明圏をつくりあげたのは,1492年のコロンブスの航海や1500年のP.A.カブラルによるブラジル発見以後のことである。もっとも,コロンブス自身は最後まで新大陸をアジアの一部と信じていたのだから,大西洋の真の姿が認識されたのは,1513年にV.N.deバルボアが太平洋に到達したときだということもできよう。いずれにせよ16世紀には,こうして成立したラテン・大西洋文明圏の各地域間には,密接な人的・物的・文化的な交流がみられた。中・南米からの銀供給によってスペイン経済はブームをむかえ,アフリカから中・南米への奴隷貿易を握ったポルトガルは,やがてブラジルでサトウキビ栽培にも成功したし,逆にアフリカ社会は奴隷貿易によって致命的な悪影響を受けた。中・南米には,原住民=インディオのプリミティブな農業にかわって,イベリア流のエンコミエンダなどがもちこまれ,原住民人口の激減をもたらし,黒人奴隷によるプランテーション制度も導入された。カトリックの信仰とスペイン語がもちこまれたこともいうまでもない。
17世紀以降になると,オランダ,フランス,イギリスなど北西ヨーロッパ諸国が,競って北アメリカ大陸の植民や開発に乗り出し,南・北アメリカとヨーロッパ,アフリカを結合する,より大規模な大西洋文化圏が形成される。これらの国ははじめのうち,スペインとポルトガルの既得権益に密輸や海賊(私拿捕)行為によってチャレンジしていたが,やがて北アメリカに植民地を建設した。17世紀後半,3度にわたる対イギリス戦争に敗れたオランダはニューネーデルラント植民地などを失い,18世紀にはイギリス,フランス両国が北大西洋の覇権争いの主役となる。しかし,この争いも,スペイン継承戦争,オーストリア継承戦争に次いで七年戦争でもイギリス側が勝利を収めた結果,1763年のパリ条約でイギリス重商主義帝国(〈旧帝国〉とよばれる)が完成した。イギリスを中心とする北西ヨーロッパとアフリカとアメリカを結ぶ,いわゆる〈三角貿易〉は,産業革命の前提条件として,決定的に重要な意味をもつことになる。
1775年,英領北アメリカ13植民地は独立運動を展開,翌76年には〈アメリカ独立宣言〉を発し,83年のパリ条約では最終的に独立を承認された。この事件は,大西洋をはさむイギリス帝国の政治的崩壊を意味したが,経済的には,あたかもイギリス産業革命の盛期にあたってもおり,合衆国南部の奴隷制綿花プランテーションとイギリス綿業の間の紐帯がいっそう強まっていった。
南・北を問わず〈大西洋文化圏〉の結びつきが比較的弱くなったのは,ヨーロッパがナポレオン戦争で混乱した時代である。1812-14年の第2次英米戦争は,合衆国がイギリスからの経済的自立を達成する最初の契機となった。この傾向は1861年にはじまる南北戦争の遠因ともなり,また南北戦争によって決定的に強められもする。中・南米でも,ナポレオンによる本国スペインの占領を契機として,1810年ごろから植民地の独立運動が盛り上がった。ウィーン会議以後,フランス革命前の状態への復帰を狙ったメッテルニヒらは独立運動の抑圧をはかったが,この地域を事実上の植民地(〈非公式帝国〉ないし〈自由貿易帝国〉とよばれる)にすることを望んでいたイギリスはこれを支持せず,一方,合衆国はいわゆる〈モンロー宣言〉(1823。モンロー主義)を発して,西半球に対するヨーロッパの干渉を拒否した。このような国際環境に恵まれて,中・南米各植民地はS.ボリーバルらの指導のもとに次々と独立を達成した。ただし,独立後もこれらの諸国は,イギリス(のちにはアメリカ合衆国)による事実上の植民地としての支配を受け,低開発状態を脱することができないでいる。
なお,アメリカ独立革命からフランス革命,ラテン・アメリカ諸国の独立,19世紀前半のヨーロッパの諸革命などには共通の要因があるとして,〈大西洋革命〉論を主張する者もある。
第1次世界大戦は,ヨーロッパ列強間の紛争として始まりながら,ロシア革命とアメリカ合衆国の参戦によってようやく終結した点で,大西洋をとりまく状況の根本的な変化を示した。イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国を主体とする北アメリカ諸国の結合は,現在にいたるまで相変わらず強く,たとえばNATO(北大西洋条約機構)のようなかたちをとって表現されてもいる。しかし,主導権はアメリカ合衆国に移っているうえ,太平洋圏が大西洋圏以上に重要な世界史の場として登場しつつある。
執筆者:川北 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東はヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、西は南北アメリカ大陸に接し、南極から北極に至る海洋。太平洋、インド洋とともに三大洋とよばれ、広さは太平洋に次ぐ。古代ギリシアでは、大西洋南部をアフリカ大陸の北西端に立つ巨神アトラスが支配すると考えてアトランティコスAtlanticosとよんだ。日本語の「大西洋」は、古代ローマでの大西洋全体の呼び名Oceanus occidentalis「西の大洋」の日本語訳である。
[半澤正男・高野健三]
南アメリカのホーン岬からサウス・シェトランド諸島、さらに南極半島に至る線で太平洋と、南アフリカのアガラス岬(アグリアス岬)から東経20度沿いに南下して南極大陸に至る線でインド洋とくぎられる。面積8244万1000平方キロメートル、体積3億2361万立方キロメートル、平均深度3926メートルである。付属海にアメリカ地中海、ヨーロッパ地中海、北極海、縁海に北海、セント・ローレンス湾などがある。大西洋の一部をバハマ海、サルガッソー海などとよぶことがあるが、これらの海の境界ははっきりしていない。
[半澤正男・高野健三]
海底大地形でもっとも特徴があるのは、大西洋のほぼ中央部を南北にS字状に連なる長大な大西洋中央海嶺(かいれい)の存在である。北極海から南緯55度に至るこの海底の大山脈は、大部分の深度が3000メートルより浅く、赤道付近で深さ7728メートルのロマンシュ断裂帯によって両断され、深さ4500メートル内外の鞍部(あんぶ)が形成されている。この中央海嶺上には、アイスランド、アセンション島、トリスタン・ダ・クーニャ島、ブーベ島などがある。
大西洋中央海嶺を横断してほぼ平行に東西に走る多くの断裂帯がある。アトランティス、オーシャノグラファーなど、発見した観測船の名をつけられたものが多い。海盆中には巨大な孤立した海山があり、グレート・メテオール、アルテアなどが有名である。海溝は北大西洋のプエルト・リコ海溝(8605メートル)、南大西洋のサウス・サンドイッチ海溝(8325メートル)などが顕著である。
大西洋中央海嶺はまた、プレートテクトニクスの面からも主要な境界となっている。海嶺東側の北半分はユーラシアプレート、南半分はアフリカプレート、西側の北はアメリカプレート、南は南極プレートとよばれ、海洋底拡大説によれば東側は東方へ、西側は西方へと海底が移動している。
[半澤正男・高野健三]
北大西洋では中緯度高気圧とその北方の低圧部が、南大西洋では中緯度高気圧と南極大陸を取り巻く低圧部が、さらにその南の偏西風帯と、低緯度地帯の貿易風が特徴である。北大西洋の中緯度高気圧をアゾレス高気圧、その北の低圧部をアイスランド低圧部(低気圧)という。南半球では南緯20~30度にアゾレス高気圧に対応する高圧部が存在する。アイスランド低圧部に相当するものは南大西洋にはなく、南極大陸を囲む低圧帯が存在する。この高圧部と低圧帯との間には恒常的に強い偏西風が吹き、「ほえる40度roaring forties」とよばれる南緯35~45度においてもっとも強い。低緯度の北東・南東両貿易風の間には赤道無風帯とよばれる静かな海域があり、通常北緯2~10度に位置する。
アイスランド低気圧は冬季によく発達する。中緯度に発生・発達した低気圧は、北太平洋と同じく西から東へ進む。北半球の夏季、カリブ海には太平洋の台風に相当するハリケーンが発生し、アメリカなどに大きな被害をもたらすことがある。北大西洋北部、ニューファンドランド沖のグランド・バンクスでは、春から初夏にかけて温かい空気が冷たい海上に運ばれるため、濃い海霧がしばしば発生し、世界有数の海霧卓越海域となっている。
[半澤正男・高野健三]
北大西洋ではアイスランド低圧部に対応する反時計回りの循環、アゾレス高気圧に対応する大きな時計回りの循環がある。循環の向きが逆になる南半球では、中緯度高気圧に対応して大きな反時計回りの循環がある。南大西洋の高緯度地方では、陸地や島などの障害がないので、偏西風に対応する西風海流が、南大西洋を東に流れ、南極海を一周している。
(1)北大西洋 北赤道海流の大部分はアメリカ地中海に入りカリブ海流となる。その海を出てフロリダ海流となり、アンティル海流と合流して、強大なガルフストリーム(湾流、メキシコ湾流)を形成する。ガルフストリームはグランド・バンクスの南で北大西洋海流につらなる。フロリダ海流、アンティル海流、ガルフストリームをガルフストリーム・システム(湾流系)と総称する。北大西洋海流は大西洋中央海嶺を越えて北東に進むが、水温が比較的高く高塩分であり、北西ヨーロッパの海洋性気候を形成する。
北大西洋海流の分枝の一つイルミンガー海流はアイスランド沖で東グリーンランド海流とあわさって、グリーンランドの西海岸沖を西グリーンランド海流となって北上する。北大西洋海流の一つの分枝はアイスランド―フェロー海嶺を越え、ノルウェー沖をノルウェー海流となって北東に流れる。これはバレンツ海に入ってノース・ケープ海流となり、さらに一部は北極海に入って西スピッツベルゲン海流となる。比較的温かく塩分の高いこの海流は、低塩分の表面水の下を潜流となってノボシビルスク諸島付近にまで達する。北大西洋海流のもう一つの分枝は向きを南に変えて、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸の西岸沖をポルトガル海流、カナリー海流となって流れ、最終的には北赤道海流となって西へ向かい北大西洋の時計回りの大循環を形成する。
北大西洋北部のカナダ北東沖には高緯度地方から寒冷なラブラドル海流が南下してグランド・バンクス沖でガルフストリーム系の暖水とぶつかり、海霧を発生させやすい。この海域は魚類の豊富な漁場となっている。またラブラドル海流が運んでくる氷山が、航海の障害になることもある。
(2)南大西洋 赤道を狭んで北大西洋の海流系と対称となる形の流れである。ガルフストリームに対応してそれほど強大ではないがブラジル海流があり、カナリー海流にはベンゲラ海流、ラブラドル海流にはフォークランド海流がそれぞれ対応する。西風海流は周南極海流といわれることが多い。南緯50度付近には顕著な南極収束帯がある。南・北赤道海流の間を東へ向かって流れる赤道反流は、アフリカの黄金海岸沖合いでとくに明瞭(めいりょう)になり、ギニア海流とよばれる。
[半澤正男・高野健三]
表面の塩分は三大洋のなかでもっとも高く、南北両大西洋それぞれの中央部には、塩分が37psu以上の海域が広がっている。ヨーロッパ地中海の塩分もおおむね37psu以上である。海水の化学成分では深層水の溶存酸素量が高いのが特徴で、グリーンランド沖では表面から3000メートルまで、1リットル中6ミリリットルを含み、大西洋深層水の年齢が若い(この海水が海面から沈降し始めたときからの経過年月が短い。数百年程度の海水が多い)ことを示している。
北大西洋の氷山は大部分がラブラドル海流で運ばれて、通常グランド・バンクスの南まで達するが、バーミューダ南東まで流れていった記録もある。グランド・バンクス付近では3月から7月までの間によく現れる。北緯42度付近が頻繁にみられる南限、ときどきみられる南限は北緯38度ぐらいである。南大西洋の氷山は南極大陸の棚氷(たなごおり)が崩れて海上に流出したもので、卓状氷山といい、巨大なテーブル状になっているのが特徴である。
大西洋沿岸の潮差は約1メートルである。カナダ、メーン湾奥のファンディ湾の大潮(おおしお)潮差は12.9メートルで世界最大である。アルゼンチン、パタゴニア(南緯51度)のグランデ湾の9.74メートル、フランス北西部サン・マロの10.58メートルなどが大きな潮差の代表である。
[半澤正男・高野健三]
生物資源の活用、すなわち漁業は古くから行われている。主要漁場は北東部の北海、アイスランド周辺、スカンジナビア半島近海と、西部のニューファンドランド、ノバスコシア近海で、主要魚種はいずれもタラとニシンである。両漁場は、日本の三陸沖とともに世界の三大漁場となっている。ただし乱獲などの影響で、タラ、ニシンの北大西洋における漁獲は1970年代より漸減し、かわってオヒョウ類、ソコダラ類、イカナゴなどの産業用魚種の漁獲が増えている。中部・南大西洋の水産資源の活用は、北大西洋ほど盛んではないが、メンヘデン、メルルーサなどソコダラ類の漁業がおこりつつある。
石油・天然ガス資源の採取・採掘が盛んなのはメキシコ湾、ベネズエラのマラカイボ湖、北海などである。このほか北アメリカの大西洋岸沖(ニューファンドランド、ノバスコシア沖)、カナダ領北極圏の沖などでも開発が試みられたり、計画されたりしている。海洋底の鉱物資源は太平洋と同じく赤道を挟み、マンガン(団塊)、コバルト、ニッケル、銅などがあるが、事業化には至らない。海洋エネルギー資源の活用でもっとも注目されるのは、世界最初の潮汐発電所がフランスのランス河口にあり、年間54.4億ワット時の電力を供給していることである。
[半澤正男・高野健三]
海は交通・交流に対する大きな障壁である。大西洋は、この障壁を低くするための新しい科学・技術が生まれ、発達した舞台である。障壁は低くなり、ヨーロッパ・アフリカ大陸とアメリカ大陸を含む新しい政治・経済・文化圏が生まれた。海洋学という新しい学問分野が生まれたのも大西洋である。これらの点で太平洋との違いは大きい。
古代から大航海時代の終りころまでの大航海は、ほぼすべて新しい交易路の開拓を目ざしていた。以下に代表的航海をあげる。
(1)ピュテアスPutheas(紀元前4世紀のギリシアの地理学者)の北方探検航海は、フェニキア人の独占貿易を阻むためマルセイユの商人たちの依頼で企画され、実行された。
(2)ディアスBartholomeu Diaz(1450ころ―1500)、ガマVasco da Gama(1469ころ―1524)のインド洋への航海は東方(インド、中国)への新航路の開拓が目的だった。アラビア人がヨーロッパから東方への陸路とペルシア湾、アラビア湾経由の海路を支配していたので、ポルトガルはアフリカ大陸を迂回(うかい)する新しい航路を開拓した。アラビア人の独占は崩れ、アラビア人勢力衰退の一因になった。
(3)コロンブスChristopher Columbus(1451―1506)の北大西洋南部の横断航海は、アラビア人の支配下にない新しい航路、西へ進んで中国・インドに到る航路の発見が目的だった。
(4)カボート父子(父はGiovanni Caboto,1450―98、子はSebastiano Caboto,1476―1557、英語読みはキャボットCabot)の北大西洋北部の横断航海も西へ進んで中国・インドに到ることが目的だった。
(3)と(4)はアメリカ大陸の存在にはばまれて、当初の目的を達成できなかった。(2)~(4)の航海とあとに続く多くの航海は、ヨーロッパ・アジア大陸間、およびヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸間の戦争、植民、移民、交易、文明・文化の交流をもたらしたことによって、世界史に大きな意味をもつ。
これらの航海に加えて、
(5)北東航路(北大西洋から北東に向かい、北極海を東に進んでベーリング海峡から太平洋に出る航路)と北西航路(北大西洋から北西に向かい、北極海を西に進んでベーリング海峡から太平洋に出る航路)も東方への到達が目的だった。スペインとポルトガルが東方や新世界への航路を開いたあと、出遅れたイギリスやオランダは、スペインやポルトガルの権益が強くなかった北極海を経由する航路を求めた。
さらに、大航海時代は終っているが、
(6)ベリングスハウゼンFabian Gottlieb von Bellingshausen(1779―1852、ロシア語読みはベリンスガウゼンBellinsgauzen)の南極海探検航海は、大西洋への進出で西ヨーロッパ諸国に遅れをとったロシアが南極海では遅れないように1819年に送り出した航海であった。
これらの航海によって、船と航海にかかわる科学・技術は著しく進歩し、海と海上大気についての知識が豊かになっただけではなく、海の大きさ、広さ、そこに繰り広げられるいろいろな現象が人々の視野を広げることになった。
第二次世界大戦後は、ミサイル潜水艦の出現によって冷戦時代には大西洋は緊張の海となった。1949年の北大西洋条約はアメリカ・カナダとヨーロッパ諸国の軍事上の結束を強めたが、1980年代になって条約機構の主導権を維持しようとするアメリカと条約機構のヨーロッパ化を目ざすヨーロッパ諸国の対立が生まれた。
[半澤正男・高野健三]
『長沢和俊著『世界探検史』(1969・白水社)』▽『『小学館百科別巻2 海洋大地図』(1980・小学館)』▽『奈須紀幸監修『世界海洋アトラス』(1983・講談社)』▽『正井泰夫著『グローバル世界地誌――大西洋圏と太平洋圏』(1991・二宮書店)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ヨーロッパ大陸の西にある大洋は,ヨーロッパ人により古来アトランティックと呼ばれた。彼らがアフリカ沿岸を南下し,また西進して西半球の大陸を「発見」して,大西洋の輪郭を知るのは15世紀末である。16世紀以降,西ヨーロッパ諸国の西半球征服が進むと,西半球から金銀や特産物がヨーロッパに流入し,アフリカ西岸が西半球への奴隷供給地となり,西ヨーロッパ‐西半球‐西アフリカを結ぶ大西洋貿易圏が形成され,西ヨーロッパの隆盛を導いた。19世紀には外洋船の大型化とともにヨーロッパから西半球,特にアメリカに大量の移民が到来し,同国の急速な発展を促した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…沖合はバンク(堆)で,好漁場となっている。なお,インド洋と大西洋を分けるのに,この岬をもってする考えと,インド洋からのアガラス暖流が岬のさらに西方のフォールス湾に流れこむので,喜望峰のあるケープ半島を境界とする海洋学的見解とがある。【編集部】。…
…それはアジアとリビュアつまりアフリカを合わせたよりも大きく,ポセイドン神の5組の双生児が島を10分して支配していた。最年長の初代の王アトラスにちなんで島は命名され,そのまわりの海も〈アトラスの海〉(つまり大西洋のこと)と呼ばれたという。整然たる都市計画と強力な軍事組織を備え,ヨーロッパやリビュアの一部まで支配下に置いていたが,彼らはさらにヨーロッパとアジアとを一挙に隷属させようとして侵攻した。…
※「大西洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
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