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クリコボの戦 クリコボのたたかい

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世界大百科事典 第2版の解説

クリコボのたたかい【クリコボの戦】

1380年9月8日,モスクワ大公国ドミトリー大公(イワン・カリタの孫)の率いるロシア諸公の連合軍が,キプチャク・ハーン国ママイハーンの軍勢をドン川支流域のクリコボKulikovoの原野で迎え撃った会戦。約230年の〈タタールのくびき〉のほぼ中間期におこった初の武力対決。正午過ぎから3時ごろまでの短時間に,ロシア軍10万とハーン軍13万~15万が6~7km四方の原野で激突し,ロシアの大勝利に終わったが,損害も大きく,兵の半ばを失って戦場での葬儀に8日かかったという。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のクリコボの戦の言及

【タタールのくびき】より

… 修道院数が増大し,ロシア府主教をはじめとする正教聖職者の指導性も向上して,ロシアの国土と歴史に対する有識者の自覚もたかまった。しかし,現実にタタールのくびきからの解放が人びとの確信となりだすのは,1380年のクリコボの戦におけるモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイを中心としたロシア諸公連合軍の勝利からである。わずか2年後に,今度はモスクワ自体がハーン軍に蹂躙(じゆうりん)され,1万数千人の戦死者を出すが,大公ドミトリーはそれでも遺書の中で自分の長男を大公位の後継者に指定して,ハーンの意向を無視した。…

※「クリコボの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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