ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノブゴロド」の意味・わかりやすい解説
ノブゴロド
Novgorod
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ロシア連邦北西部、ノブゴロド州の州都で、ロシア有数の古都。人口23万1700(1999)。ボルホフ川の河岸にあり、河港を有する。鉄道の分岐点。古来、交通、商業の中心地として栄え、手工業が営まれてきたが、その後種々の工場が建設され、工業都市としての側面ももつようになった。主要工業は化学、電機、木材加工である。旧市街にはクレムリン(城塞(じょうさい)、11~12世紀)、聖ソフィア寺院(11世紀)、ミロシュ修道院(12世紀)など多数の価値ある歴史的建築物が修復・保存され、多数の外国人観光客が訪れる。この地区は1992年には世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。総合大学の所在地。
[中村泰三]
年代記859年の項に初めてその名が現れる。バルト海と黒海とを結ぶいわゆる「ワリャーグ(ノルマン人の意)からギリシアへの道」の北端に位置する。当初キエフ大公の任命する公(多くの場合大公の子かそれに近い縁者)により支配されたが、やがて11世紀末から12世紀初頭にかけて貴族共和制的な体制が成立した。ノブゴロドの最盛期はこの貴族共和制の時代(1136~1478)である。多くの市民が手工業に従事したが、とくに重要なのは商業である。ノブゴロドはウラル山脈に達する広大な領土を支配していたが、ノブゴロド商人はその広大な領土から集められた毛皮をはじめとする森林・海産品をもってハンザ商人や東方商人と盛んに交易した。彼らが「イワン百人組」などのギルドを組織していたことも知られている。これら商人や手工業者を中心とする市民は民会に参加して国政にも参与していた。かくしてこの時期、ノブゴロドはロシアでもっとも栄えた都市となった。だが門閥貴族間の対立、下層市民の蜂起(ほうき)など内的矛盾に悩み、やがて新興のモスクワ大公国によって併合されてしまった。ノブゴロドはその後も商業都市として重きをなしたが、16世紀後半から衰退に向かい、18世紀のサンクト・ペテルブルグ建設以降はその経済的意義もほとんど失われてしまった。
[栗生沢猛夫]
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