イワンカリタ(その他表記)Ivan Danilovich Kalita

改訂新版 世界大百科事典 「イワンカリタ」の意味・わかりやすい解説

イワン・カリタ
Ivan Danilovich Kalita
生没年:?-1340

モスクワ公イワン1世の通称。在位1325-40年。当時のロシアは,トベーリ,リャザン,ノブゴロドなど大小の諸公国が並び立ち,キプチャク・ハーン国の間接支配下にあった。1327年トベーリでハーン使節を殺害,反乱がおこると,イワンはハーンの委任をうけて5万のハーン軍とともに兵をすすめ,鎮圧の功により,翌28年に念願のウラジーミル大公の称号を許された。キエフからウラジーミルに移ってきていた正教会のギリシア人府主教も,イワンの支持者にまわった。加えて,良好な治安と,主要河川路の商業による経済的繁栄とが移住民の流入をうながし,モスクワは全ロシア的統一中心としての性格を強めていく。イワンは,〈カリタ(金袋)〉とあだ名された豊富な財力を用い,武力よりも謀略でハーン国にとり入り,周辺諸公国の領地を買収,併合していった。そのため,〈タタールの奴隷頭〉(マルクス)などと一方的に非難される場合が少なくない。
タタールのくびき
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百科事典マイペディア 「イワンカリタ」の意味・わかりやすい解説

イワン・カリタ

モスクワ公イワン1世(在位1325年―1340年)の通称。キプチャク・ハーン国援助を得てロシア諸侯国に対する宗主権獲得領土を拡大した。諸侯国がキプチャク・ハーン汗に納める税の一部を取って富強となり(〈カリタ〉は金袋の意),ロシア統一の基礎を固めた。
→関連項目モスクワ大公国リューリク朝

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世界大百科事典(旧版)内のイワンカリタの言及

【タタールのくびき】より

…たとえば,モスクワ公ユーリーは,中傷によってトベーリ公ミハイルをハーン国で刑死させるが,自分もまたミハイルの息子に復讐されて,1325年ハーンの宮廷で落命する。まもなくトベーリ公国に反モンゴル的な民衆蜂起が起こると,ハーンの命令に応じてタタールの大軍とともにトベーリに侵入し,これを徹底的に弾圧したのは,ユーリーの弟でモスクワ公のイワン・カリタ(1世)であり,彼はその翌年,ハーンからウラジーミル大公位を許される。 東方の大ハーンやサライのハーンが差し向けてくる徴税吏や戸口調査吏など,各種の役人が諸公国(主として中央ロシア)に出入りした。…

※「イワンカリタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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