クルプスキー(英語表記)Kurbskii, Andrei Mikhailovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クルプスキー
Kurbskii, Andrei Mikhailovich

[生]1528
[没]1583
ロシアの作家,政治家。公爵。初めイワン4世 (雷帝) のもとで軍事・政治指導者として活躍。リボニア戦争の最中,敵国リトアニア (リトワ) に亡命。歴史的・政治的文書を書き,16世紀のロシア文学史上独自の地位を占める。特に,イワン雷帝との往復書簡や,『モスクワ大公の経歴』 Istoriya o velikom knyaze moskovskom (1573) などで,雷帝の残忍さ,専制を攻撃した。

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世界大百科事典 第2版の解説

クルプスキー【Andrei Mikhailovich Kurbskii】

1528‐83
ロシアの貴族。当初イワン4世の寵をうけ,〈選抜者会議〉の一員として,また軍事指導者の一人として活躍。1556年大貴族に任じられた。しかし〈選抜者会議〉が解散させられたあと,イワン4世による迫害を恐れ,64年,軍司令官として勤務していたユーリエフ(デルプト,現,タルトゥ)から敵国リトアニアに亡命。この地より圧政を告発する書簡をイワンに送った。イワンもこれに応答し,両者の間に有名な往復書簡が交わされることになる。

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世界大百科事典内のクルプスキーの言及

【ロシア文学】より

…神政国家の理念の代弁者であったモスクワ府主教マカーリー(1483ころ‐1563)の《大聖者伝集成Velikie Chet’i‐Minei》(1552)はロシアの民衆の宗教心を養う糧となり,民衆の信仰を通して19世紀ロシア文学にも大きな影響を与えた。16世紀には,〈政治的社会評論〉の傑作であるイワン雷帝と彼に敵対するクールプスキーAndrei Mikhailovich Kurbskii公(1528‐83)との《往復書簡》(1564‐1579),家父長主義のみごとな表現である《家政訓Domostroi》(16世紀初頭)など特異な作品が多い。モスクワ時代の一元性,孤立性は17世紀初頭の〈動乱〉,17世紀半ばの〈教会分裂(ラスコール)〉によって根底からゆるがされ,文学の中にも新しい要素が現れる。…

【ロシア文学】より

…ロシア史は激しい断絶の歴史である。ソビエト革命という一国家体制の全面的崩壊以前にも,キエフ・ロシアの滅亡,北西ロシアにおける諸共和国の崩壊,ロマノフ王朝成立前の17世紀における〈動乱〉,ピョートル大帝(1世)の改革という大激変をロシアは経験している。ロシアはそのたびに政治的骨組みを立て直し,精神の再教育をはからなければならなかった。
【ロシア文学の特徴】
 ロシア文学はロシア史のこのような激変に敏感に対応してきた。…

※「クルプスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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