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ティグラトピレセル[3世] ティグラトピレセル

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百科事典マイペディアの解説

ティグラトピレセル[3世]【ティグラトピレセル】

アッシリア王(在位前744年―前727年)。衰えたアッシリアを再興,バビロニアアルメニアシリアアラビアを征服,史上最大の版図をもたらした。行政,税制,軍制の諸改革のほか,首都カルフ(現ニムルド)の改造事業でも知られる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ティグラトピレセル[3世]【Tiglath‐pileser III】

古代アッシリア王。在位,前744‐前727年。アッカド語ではトゥクルティ・アピル・エシャッラTukulti‐apil‐Ešarra。新アッシリア帝国の実質的な創始者。東西貿易路をおさえた北辺の強国ウラルトゥのシリア領への進出や各地へのアラム人の浸透,大貴族の専横などによる,アッシリアの40年におよぶ衰微の後に王位を簒奪して即位した。ウラルトゥの本拠地を征して北方に大いに領土を拡大し,西方ではアルパドを中心とするシリア諸都市の連合軍に圧勝,さらにイスラエルダマスクスパルミュラを征服し,キンメリア人を討伐して,トロス山脈からシナイ砂漠まで領土を広げた。

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世界大百科事典内のティグラトピレセル[3世]の言及

【アッシリア】より

…前3千年紀以来のアッシリア商業の伝統が,前2千年紀後半のこの中期アッシリアに至って強烈な軍国主義と結びつき,新交易路の開拓と領土拡大が連動したのである。しかし王の死後はティグラトピレセル1世Tiglath‐pileser I(在位,前1115‐前1077)の地中海やワン湖にまで進出した軍事的・経済的成功を除いて,アッシリアはふたたび長い雌伏期に入り,西方諸民族,ことにアラム人や東方の山岳民族ルルビの侵入・圧迫に苦しみ,その領土はティグリス川流域の狭い地域に縮小した。
【前1千年紀】

[新しい帝国の誕生]
 前1千年紀はじめのメソポタミア史上のもっとも重要な要素は,半遊牧民アラム人の不断の脅威であった。…

【シリア】より

…前853年のカルカルの戦では,ダマスクス王とイスラエル(北王国)王のほかに12の王が連合してシャルマネセル3世と戦ったが,それから数十年の間にこれらの小勢力はほとんどすべて攻略され,住民の上層部は強制移住させられた。シリアのアラム人の独立時代は,前732年にダマスクスがティグラトピレセル3世に占領されたときに終わったが,彼らの隊商世界とその言語とはその後の西アジア史できわめて重要な役割を演じた。前612年には,アッシリアの首都ニネベがメディア人によって滅ぼされたが,シリアは引き続きアラム系の新バビロニア(カルデア)帝国の支配下にあった。…

【メソポタミア】より

…アッシュールナシルパル2世はティグリス河畔にカルフ(現,ニムルド)を建設している。前8世紀後半のティグラトピレセル3世のとき,地中海からバビロニアに至るまでを領有する大帝国が成立した。8世紀末のサルゴン2世はイスラエル王国を属州とし,またバビロニアではセム系カルデア人の抵抗を粉砕している。…

※「ティグラトピレセル[3世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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