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アッシリア アッシリア Assyria

翻訳|Assyria

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アッシリア
アッシリア
Assyria

北部メソポタミアチグリス川沿いの地域。古くから文化が開けていたことで知られる。最古は遊牧や農業によるスバル人社会がありシュメール人と交渉をもっていたともいわれる。前 3000年にアッシリア人がこの地を奪い都市国家を建設,盛衰を繰り返した。

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デジタル大辞泉の解説

アッシリア(Assyria)

西アジア、チグリス川上流アッシュールを中心とする地域の古称。また、前3000年ごろからこの地に繁栄したセム族の王国名。前671年、オリエント最初の大帝国となったが、前612年、カルデアメディア連合軍によって滅亡。

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百科事典マイペディアの解説

アッシリア

アッシュール市を中心とする北部メソポタミア地方の呼称。前2000年ころから強力となり,その後何度かの盛衰を経て前8世紀,初めてエジプトを含む全オリエントを統一(サルゴン2世)。
→関連項目アッシュールバニパルカッパドキア楔形文字法ティグラトピレセル[3世]テル・ハラフ図書館ナボポラッサルメソポタミアモースル

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世界大百科事典 第2版の解説

アッシリア【Assyria】

メソポタミアの北部からおこり,古代オリエント最初の世界帝国を築きあげたセム人系国家。アッシリア本土は,イラク北部北緯37゜付近から南,ティグリス川と小ザブ川の合流点付近に至り,西は広漠たる原野へとつながる,ティグリス川中・上流とその支流の流域を中心とする逆三角形の国土を指す。東部には肥沃な河谷があって農耕に適する。
【先史,初期】
 この地の北部のシャニダールネアンデルタール人頭蓋骨が発見されており,旧石器時代以来人類が住んでいたことがわかる。

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大辞林 第三版の解説

アッシリア【Assyria】

メソポタミアの北部地方の古名。また、セム族がその地に建てた帝国。発祥の都市アッシュールにちなむ名。紀元前一〇世紀頃から鉄製武器と強力な軍隊により強大化し、前七世紀初頭にはニネベを首都にメソポタミアからエジプトにまたがるオリエント最初の統一帝国を建設したが、分裂と反乱により前612年に滅亡した。 → バビロニア

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アッシリア
あっしりあ
Assyria

ティグリス川中流域のアッシュール市Assurから興ったセム人の国家。紀元前千年紀後半から前610年まで存続した。ティグリス、ユーフラテス川の流域地方をバビロニアと称するのに対し、その北の地方をアッシリアと称する場合がある。この地方は本来フルリ系住民が多数を占めていたと思われるが、アッシュールはシュメール人の植民都市として成立し、その後セム系のアッカド人の都市になったと推測されている。都市名としてのアッシュールが文献に初めて現れるのはアッカド王朝時代(前2300ころ)である。前2000年ごろはウル第3王朝治下にあった。アッシュールの君侯ザーリクムは、スーサの同名の君侯ザーリクムと同一人物と考えられ、彼は東方および北方辺境の防備と通商路の確保を、ウルの王から任されていたと思われる。[前田 徹]

古アッシリア(前二千年紀前半)

この時期にアッシュールは独立した有力商業都市(国家)となり、アナトリアのカネシュに商業植民市を置き、おもに銅、錫(すず)交易を活発に行っていた。前二千年紀初頭から西方セム語族に属するアモリ人が移動を開始し、バビロンなどの諸都市に王朝を建てた。王朝はアッシュールにも成立した。シャムシ・アダド1世(在位前1813~前1781)は長子イシュメダガンを首都近くに配置し、アナトリアに通じる道の防衛とともに、エシュヌンナ王国に対抗させた。また征服したマリ王国に次子を王として送り込んだ。こうした配置は、アナトリアとエラムを結ぶ通商路の確保とその権益の擁護が主目的であったと思われる。このアッシリアもバビロン第1王朝のハムラビに屈し独立国の地位を失ったのである。[前田 徹]

中アッシリア(前二千年紀後半)

インド・ヨーロッパ語族の大移動によって、前1500年ごろ成立したミタンニに、アッシリアは隷属せざるをえなかった。アッシリアは通商路の重要拠点に位置することで国勢が伸張したが、この地理的条件は逆に諸民族の移動の影響をまともに被る弱点ともなっていた。以来、アッシリアは四方の敵に備えざるをえなくなる。ヒッタイトのシュッピルリウマシュが攻撃したことで、ミタンニが弱体化すると、アッシリアのアッシュール・ウバリト1世(在位前1365~前1330)は独立をかちとった。彼はさらに娘をバビロン王に嫁し、孫を王位につけ、政治の主導権を握った。アダド・ナラリ1世(在位前1307~前1275)はシリアまで進出した。これに脅威を感じたエジプトとヒッタイトは、敵対していたのであるが、一変して対アッシリアのため友好条約を締結するに至った。アマルナ文書において、アッシリア王は「エジプト王の兄弟」とよばれるほど、列国に伍(ご)する強国となったのである。アッシュール・ウバリト1世治下に、アッシリアはバビロンを圧倒する勢いを示していたが、トゥクルティニヌルタ1世(在位前1244~前1208)はついにバビロンを攻略し、主神マルドゥクの像を奪うまでになった。中アッシリアにおいては、商業国家から軍事国家への変質がみられる。たとえば馬と鉄を利用した軍の再編成、官僚制の整備、アッシリア法典の編纂(へんさん)が行われた。[前田 徹]

新アッシリア(前一千年紀前半)

前1200年ごろから始まった「海の民」(ペリシテ人)の移動による西アジア、東地中海世界の混乱のなかで、アッシリアは、とくにアラビア砂漠から移動してきたアラム人との対立によって弱体化した。アラム語は国際語としてアッシリアでも使用されることになった。アッシュール・ダン2世(在位前934~前912)が復興の基を築いた。アッシュール・ナシルパル2世(在位前884~前859)はカルフ(ニムルード)に新都を造営した。ティグラト・ピレセル3世(在位前745~前727)によって帝国時代の幕があけられた。彼は軍制改革と内政改革によって王権の強化を図り、また、それまでの「あらゆる敵を殲滅(せんめつ)する」方式に、強制移住政策を加え、諸民族の反乱の根を断ち切ろうとした。この政策は新バビロニアのネブカドネザルの「バビロン捕囚」に継承される。真にアッシリアの最盛期はサルゴン朝の時代に到来する。サルゴン2世(在位前721~前705)は北方の雄国ウラルトゥを破って後顧の憂いをなくし、地中海沿岸に出兵してはイスラエル王国を滅ぼした。彼は新都ドゥル・シャッルキン(コルサバード)も造営した。エサルハッドン(在位前680~前669)はエジプトに侵入し、首都メンフィスを占領、下エジプトを制圧した。短期間ながらオリエント世界の統一が実現したのである。アッシュール・バニパル(在位前668~前627?)は再度エジプトに侵入し、上エジプトのテーベまでも攻略した。さらに東方エラムを征服することで最大版図を実現した。彼は図書館をつくったことでも有名である。しかし、アッシュール・バニパルの死後数年で内紛が起こり、それに乗じられて、前612年、『旧約聖書』に「わざわいなるかな、血を流す町」とあるごとく、首都ニネベはメディア王キャクサレスとバビロン王ナボポラサルによって徹底的な略奪と破壊を被り、廃墟(はいきょ)と化した。そして前610年アッシリア帝国は完全に滅亡したのである。[前田 徹]

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世界大百科事典内のアッシリアの言及

【シリア】より

…ミタンニの勢力は前15世紀に絶頂に達した。前14世紀以降になると,エジプト新王国,ヒッタイト,アッシリアなどの外国軍隊がシリアを戦場とした。シリアの諸都市も互いに抗争し,弱体化した。…

【鉄】より

… しかし,鉄の生産はまだきわめて限られ,隕鉄の利用も少なくなく,鉄は相変わらず貴重品であった。前20~前19世紀のアッシリアとアナトリア東部の交易を伝える〈キュルテペ文書〉に数種の鉄の名称がみられるが,そのうちの一つであるアムートゥムamūtumは金の8倍以上の価値を有していた。アナトリア東部は,アルメニアとともにしばしば製鉄の起源地に仮定されてきた地域である。…

【ニネベ】より

…イラク北部,モースルからティグリス川を渡って約500mにあるアッシリアの首都。センナヘリブ王が前700年ころから建設してのち,前612年の滅亡まで存続した。…

【バビロニア】より

…現在のイラクのバグダード以南の沖積平野を中心としたメソポタミア南部を指す歴史的呼称。しばしば北部のアッシリアと対比され,またバビロニア南部はシュメール,北部はアッカドと呼ばれる。その歴史は,厳密にはバビロンによるメソポタミア南部の統一をもって始まるとみるべきであろうが,以下の記述では,サルゴンによるアッカド帝国の建設によりメソポタミア南部が初めて政治的に統合された時をもってその出発点とし,アレクサンドロス大王による征服までを扱う。…

【メソポタミア】より

…この地域に人類最古の文明が繁栄した。
[地域と風土]
 メソポタミアは,本来的にはバグダード以北の両河流域地方(ほぼアッシリアに対応)を指し,以南を示すバビロニアと対立的に用いられたようである。アラブは狭義のメソポタミアをジャジーラal‐Jazīraと呼んだ。…

※「アッシリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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