ノビスパン

精選版 日本国語大辞典 「ノビスパン」の意味・読み・例文・類語

ノビスパン

(「ノバイスパニア」の変化した語) 江戸初期、スペインの植民地時代におけるメキシコをさした呼称
※慶長見聞録案紙‐慶長一五年(1610)四・二六「のびすばん渡海、心次第致売買帰朝。猩々皮多持来」

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デジタル大辞泉 「ノビスパン」の意味・読み・例文・類語

ノビスパン

メキシコをいう江戸初期の日本での呼称。→ノバ‐イスパニア

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ノビスパン」の解説

ノビスパン

近世日本におけるメキシコの呼称。漢字表記は濃毘数般。イスパニア(スペイン)の植民地メキシコをヌエバ・エスパーニャ(新イスパニア)とよんだことによる。当時メキシコはイスパニアの中央アメリカ経略の中心地。マニラとの東洋貿易も盛んで,ガレオン船の日本沿岸漂着の事例も生じた。徳川家康はメキシコとの交易を望み,マニラにも使者派遣,1610年(慶長15)には田中勝介らを前フィリピン臨時総督ビベロの船に便乗させてメキシコに派遣。また13年支倉常長一行もメキシコに滞在した。しかしいずれも通商交渉は進展せず,以後関係は冷却した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ノビスパン」の解説

ノビスパン

スペイン領のメキシコ(1522〜1822)
徳川家康は平和通商を奨励し,1610年田中勝介を派遣した。また伊達政宗 (だてまさむね) の命をうけた支倉常長 (はせくらつねなが) もこの地を経てヨーロッパに渡った。

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