ガレオン船 (ガレオンせん) galleon
目次 ガレオン貿易 16世紀前半に出現した帆船 の船型に基づく名まえ。ガレー船 galleyに語源 をもつといわれている。1535年のポルトガルのタピスリー にその初期の姿がかかれていて,当時全盛 をきわめていたカラック船 に対し,船幅,竜骨長,甲板長の比が1:3:4と細長く,船首楼 や船尾楼 が低いのが外形上の特徴である。櫂(かい )を使わぬ全装帆船であるが,低く細長い船体 と船首 に長く突き出た衝角(後にビークヘッド beakheadと呼ばれる上部構造になる)は,ガレー船の特徴を残している。ガレオン 船は19世紀まで続く帆船の直接の祖先 といわれ,70年代以降ヨーロッパ各国でカラック船に取って代わり,風による横流れ が少なく,速力 も出た船である。88年のスペイン 無敵艦隊 によるイギリス 侵攻作戦は,兵員 を多数乗せ,高いところから切込みを行うカラック船主体 のスペイン側と,遠距離 からの砲撃 を行うガレオン船主体のイギリス側との,戦術の差が勝敗 を決めたという説もある。1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号で豊後 (大分県)に漂着したW.アダムズ(日本名三浦按針)が,徳川家康 に請われて建造した2隻の船も,イギリス系のガレオン船であったろうと推定されている。17世紀前半にはビークヘッドも短いヘッドに変わり,ガレオン船の名まえも消えたが,新大陸やフィリピン とスペイン本国を往復する船は,18世紀にもガレオン船と呼ばれていた。 執筆者:山形 欣哉
ガレオン貿易 広義には,15~16世紀の大航海時代から19世紀にかけて,スペインおよびポルトガル両国を中心に展開されたガレオン船による大洋貿易を指す。狭義には,フィリピンのマニラ とメキシコ のアカプルコ を結ぶ大帆船貿易を指し,今日,歴史用語として固有名詞化されて用いられるのは後者である。マニラ~アカプルコ貿易 は,スペインがフィリピンの植民地支配に着手した1565年から1815年まで続いた。初期には2隻以上のガレオン船が船団を組んで,毎年1回太平洋を往復したが,諸般の事情から船数はやがて2隻に減少し,最後には1隻になった。マニラからアカプルコへ送られた貿易品は,おもにマニラに集貨された中国産の絹織物や陶磁器,工芸品ならびにインド産の綿織物などで,アカプルコからの帰り荷は,大量のメキシコ銀と,毎年メキシコ政庁からマニラ政庁へ送られた王室補助金,それに公文書,新任の官吏や聖職者,補給の兵員などであった。18世紀末までスペインのフィリピン経営は,もっぱらガレオン貿易に依存していたが,この貿易はまったくの中継貿易だったので,それによってフィリピン群島内に富が蓄積されることも,またフィリピン資源の開発や生産拡大が進められることもほとんどなかった。しかし,スペイン王室はこの定期的なガレオン船の往来で,フィリピン統治を操縦していたのであるから,この貿易は,フィリピン経営の命綱だったのである。 執筆者:池端 雪浦
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ガレオン船【ガレオンせん】
16世紀前半に登場した大型帆船。ガレー船 に語源をもつといわれている。それまでの帆船に比べ,船体が細長く,船首楼や船尾楼は低くなっている。速力にすぐれ,風による横流れも少なかった。1588年英国がスペインの無敵艦隊 を打ち破ったのは,ガレオン船を主体とする英国側が,遠距離からの砲撃戦術をとったためとも言われている。ガレオン船は軍艦として登場したが,のちには商船としても活躍した。 →関連項目フィリピン |マニラ
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ガレオン船 がれおんせん galleon galeon
スペインの軍船、貿易船として16~19世紀に用いられた大型帆船。フォアマストとメインマストとには2~3枚の横帆をもち、ミズンマストにはラティーン・セールとよばれる縦帆をもつ。甲板は3層~4層程度の構造になっていた。15~16世紀にスペインやイギリスで用いられていたキャラック船の船首楼を低くして風上に切り上りやすくしてこの型の船がつくられたといわれる。これは1570年にイギリスのホーキンズの功績であり、これが17年後にスペインに伝えられたといわれる。
[茂在寅男]
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ガレオン船 ガレオンせん galleon
15~16世紀に登場した3~4層甲板の大型帆走軍艦。商船としても用いられた。火砲の発達とともに,より大きな砲を軍艦に搭載する要求が起ったが,それまでのガレー船 では上層甲板に重い砲を積むと転覆する危険があった。ヘンリー8世治下のイギリスの造船工が砲を下層甲板から舷側に開けられた窓を通じて発射することを考案し,帆走技術の向上に伴ってガレオン船が生れた。ガレオン船はガレー船に比べて遠洋の航海に耐え,本格的な対艦艦砲射撃を可能にした。
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ガレオン船 ガレオンせん Galleon
15世紀以降使用された西欧の帆船 おもにスペインが使用した。無敵艦隊の主力であり,アカプルコ貿易でも活躍した。
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世界大百科事典(旧版)内の ガレオン船の言及
【戦艦】より
…航空機の発達により,同大戦中は期待の戦果を挙げえなかったため,戦後順次退役し,現在は余命を保った戦艦が数隻,アメリカに残されているにすぎない。[戦列艦から戦艦へ] 16世紀半ば以降,帆と櫓櫂(ろかい)の木造ガレー船に代わり帆走主体の木造ガレオン船が出現した。1588年ガレオン船同士の艦隊決戦で,砲戦を主戦法としたイギリスが衝角と切込み中心の接近戦を主戦法としたスペインに勝ったことが戦列艦ships of the lineを生む端緒となった。…
【太平洋】より
…マゼランは4月27日マクタン島での島民との戦いで戦死した。 メキシコのアカプルコから北東貿易風に乗ってフィリピンのマニラへ西航し,マニラからはいったん北上してのち偏西風に乗ってカリフォルニアに達するという[ガレオン船]貿易路を開拓したのは,[レガスピ]と[ウルダネータ]である。スペイン王フェリペ2世にフィリピン占領とキリスト教の布教,およびフィリピンから新大陸への航路の発見を命ぜられた2人は,1564年メキシコからフィリピンへ渡った。…
【舟∥船】より
…人や物を乗せて水上を渡る乗物。これが一般的な定義であるが,現在では水面下を行動する潜水船や,空気圧によって水面上を浮上して走行するエアクッション船もあり,これらも広く船に含めている。慣例では,大型のものには〈船〉,ごく小さいものには〈舟〉を用いるのがふつうである。なお,法規上は〈船舶〉という語が使われる。【船の歴史】 ごく初期の舟には,大別して三つの構造様式がある。それは(1)丸木舟,(2)いかだ,(3)動物の革(皮)の舟である。…
※「ガレオン船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」