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ピオンボ Piombo, Sebastiano del

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピオンボ
Piombo, Sebastiano del

[生]1485頃.ベネチア
[没]1547. ローマ
イタリアのベネチア派の画家。本名 Sebastiano Luciani。ピオンボの通称は,のちに教皇庁に仕えたとき,「鉛 (ピオンボ) の封印」の保管方を命じられたことによる。画業は G.ベリーニのもとで始めたが,次第にジョルジョーネの画風に深く傾倒。そのことは 1509年頃のベネチアのサン・ジョバンニ・クリソストモ聖堂の『聖ジョバンニ・クリソストモと六聖者』からも明らかである。 11年,ローマの富豪アゴスティーノ・キジに招かれ,ビラ・ファルネジーナの壁画装飾に従事。そこでの制作は当時ローマにいたミケランジェロラファエロらの注目を集め,彼らにベネチア派の色彩効果を感得させ,彼のほうもミケランジェロらのたくましい構想や造形法に影響された。そして,『ピエタ』 (1517,ビテルボ美術館) や『ラザロの復活』 (16~18,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) など,ローマ風の豪快で明晰な作品を残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピオンボ
ぴおんぼ
Sebastiano del Piombo
(1485ころ―1547)

イタリア、ルネサンス期のベネチア派の画家。本名はSebastiano Luciani。ベネチアに生まれ、1547年6月21日ローマに没した。ピオンボの通称は1531年に教皇庁の鉛(ピオンボ)の封印の保管職に任ぜられたところからきている。ジョバンニ・ベッリーニの弟子となるが、同門のジョルジョーネから大きな影響を受けた。初期の作品として『聖人たち』(1507~09、サン・バルトロメオ聖堂)、『聖会話』(1508~10、サン・ジョバンニ・クリソストモ聖堂)などがある。1511年アゴスティーノ・キジの招きでローマに移り、ビラ・ファルネジーナに『ポリュペーモス』(1512~13)などの壁画を制作。ラファエッロとは相互に影響を与え合い、『ドロテア』(製作年不詳、ベルリン絵画館)、『アンドレア・ドーリア』(1526、ローマ、ガレリア・ドーリア・パンフィーリ)、『クレメンテ7世』(1526、ナポリ、カーポディモンテ美術館)などの優れた肖像画が生まれた。ミケランジェロからはいっそう強い影響を受けており、彼から与えられたデッサンを下絵にして『ラザロの蘇生(そせい)』(1519、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)などの宗教画を制作、有名な『ピエタ』(1517ころ、ビテルボ市立美術館)もそのようにして描かれたといわれている。[篠塚二三男]

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