イタリアの画家で,ベネチア盛期ルネサンスの代表的巨匠。本名ジョルジョ・ダ・カステルフランコGiorgio da Castelfranco。生涯および作品についての資料が乏しく,そのため真作決定,年代決定さらにその主題の図像学的意味の解明がはなはだ困難であり,その作品の芸術的価値ならびにその影響力については論議の余地がないとはいえ,美術史上もっとも謎の多い作家とされている。その色彩と明暗の諧調の微妙さはバザーリの絶賛するところで,明らかに師のジョバンニ・ベリーニの色彩美と,レオナルド・ダ・ビンチのスフマートの影響がある。また,その詩情あふれる画面の雰囲気は,ベネチア派独特の自然への感受性の最良の成果であると同時に,15世紀末から16世紀初頭にかけて高度の円熟期を迎えていたベネチアの人文主義的文化(P.ベンボの《アーゾロの人々》や,フランチェスコ・コロンナの《ポリフィルスの狂恋夢》などの文芸作品に代表される)の深い感化を示すものとされる。
今日,学者が彼の真作として一致して認めている作品は,フォンダコ・デイ・テデスキのためのフレスコの残欠,《ユディト》(エルミタージュ美術館),《フランチェスコとリベラーレのいる聖母子》(カステルフランコ大聖堂),《ラウラ》(ウィーン美術史美術館),《眠れるビーナス》(ドレスデン国立絵画館),いわゆる《テンペスタ(嵐)》(ベネチア,アカデミア美術館)などである。最高の名作とされる《テンペスタ》は,その主題に関して宗教画(アダムとイブ),神話画(バッカスの幼年時代),風俗画,無主題の風景画,寓意画(永遠性と時間性など)など,きわめて多くの説があり,この論議はまだ定説を得ていない。しかし,ここには,自然の風景と人間(人体)のかかわりについてのある革新的な解釈があることは明らかであり,その結果,ベネチアのみならずヨーロッパ絵画全般にわたって,16世紀以降いわゆる〈パストラルpastorale(田園神話画)〉と呼ばれる新しいジャンルが盛行することとなった。
総じてこの夭折の天才の名声は,弟弟子のティツィアーノの巨大な影におおわれて不遇であったが,今日では,(1)デッサン(線描)を用いず直接に色彩で描く手法,(2)色彩を光と影の統一としてみる近代的なバルール(色価)の表現法,(3)自然(風景)を人物画と等価値におく作画のコンセプト,(4)伝統的図像によらず,自己の創意にもとづく個人的発想によって創案された新しい象徴の創造(このために,今日彼の作品の主題の多くが不明のまま残されている)という点において,ヨーロッパ絵画の近代的展開に重大な影響を与えた巨匠であることが明らかにされた。
執筆者:若桑 みどり
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イタリア盛期ルネサンスのベネチアの画家。ジョルジョーネは通称。正式名はジョルジオ・ダ・カステルフランコGiorgio da Castelfrancoで、北イタリアの小村カステルフランコ・ベネトに生まれる。若くして没したこの画家は、その生涯についても作品の帰属についても未解決の問題を多く残している。1495年ごろベネチアに出て、まずジョバンニ・ベッリーニのもとで修業するが、ひとり立ちしたあとで彼が油彩の小品をよく描いたのは、ベネチア出身でなかった彼に聖堂の仕事が希望どおりに提供されなかったためといわれる。美術史上とくに注目されるのは、風景に人物を配した2点の作品である。そのうちの1点『嵐(あらし)』(ベネチア、アカデミア美術館)は、前景に牧人の家族らしい点景人物を据えた純然たる風景画であるが、鮮やかな色彩の自然描写に嵐の到来を暗示する雰囲気がよく示されている。もう1点の『田園の合奏』(パリ、ルーブル美術館)は、着衣の男子2人と裸婦2人を自然の環境に組み入れたもので、穏やかな光を受けた人体の柔らかな輪郭が、背景の色彩によく調和している。1508年に彼がフォンダコ・ディ・テデスキ(在ベネチアのドイツ人商館)の正面に壁画を制作したことは記録からも立証され、退色した断片も残っていて、神話上の人物像の描かれたことは推測できるが、その主題は不明である。出身地カステルフランコの大聖堂に制作した祭壇画『聖母子と二聖者』には、かつて師事したベッリーニの後期の画風の影響が明瞭(めいりょう)であり、ジョルジョーネの初期の作品と推定できる。『三人の哲学者』(ウィーン美術史博物館)は、幼児キリスト礼拝のためベツレヘムへ向かう3人のマギが、星の出るのを待つ場面であるが、点景人物と風景との配合に一段の進歩が認められる。1510年に疫病で倒れたジョルジョーネが未完のまま残した前記『田園の合奏』や、『眠れるビーナス』(ドレスデン国立絵画館)その他の作品がティツィアーノやピオンボによって完成されているため、真贋(しんがん)、帰属にかかわる論議は依然終わっていない。
[濱谷勝也]
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…伝承では,9歳のときベネチアに出てモザイク画家ツッカートSebastiano Zuccatoの門に入り,次いでベリーニ一族(とくにジョバンニ)の工房で学ぶ。早熟な才能を発揮し,1508年には同門のジョルジョーネの協力者としてフォンダコ・デイ・テデスキ(ドイツ人商館)の外壁装飾に参加。この先輩画家の詩情あふれる新様式から決定的な影響を受けるが,逆に彼にも刺激を与え,その夭折(1510)後は残された作品を完成した(ドレスデン国立絵画館の《眠れるビーナス》やルーブル美術館の《田園の奏楽》)。…
…フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。 ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。…
※「ジョルジョーネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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