ポール・マッカートニー

共同通信ニュース用語解説 「ポール・マッカートニー」の解説

ポール・マッカートニー

英国のロックバンドビートルズ」の元メンバーリバプール出身。「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」など数多くのヒット曲を生んだ。ソロ歌手やバンド「ウイングス」のリーダーとしても活躍。2011年には米国人女性と結婚式を挙げ、3度目の結婚になった。ビートルズのメンバー4人のうちマッカートニーさんとリンゴ・スターさんは元気だが、ジョン・レノンさんは射殺され、ジョージ・ハリスンさんは病死した。(ニューヨーク共同)

更新日:

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現代外国人名録2016 「ポール・マッカートニー」の解説

ポール マッカートニー
Paul McCartney

職業・肩書
ロック歌手,シンガー・ソングライター

国籍
英国

生年月日
1942年6月18日

出生地
マージーサイド州リバプール

本名
マッカートニー,ジェームズポール〈McCartney,James Paul〉

グループ名
グループ名=ウイングス〈Wings〉, 旧グループ名=ビートルズ〈Beatles〉

資格
英国王立音楽アカデミー特別会員〔1995年〕

勲章褒章
MBE勲章〔1965年〕

受賞
グラミー賞最優秀ロック・コンテンポラリーアーティスト(第9回)〔1966年〕,グラミー賞最優秀伴奏編曲者(第14回)〔1971年〕,グラミー賞最優秀ポップス・デュオグループ(第17回)〔1974年〕「バンド・オン・ザ・ラン」,グラミー賞最優秀ロック・インストゥルメンタルアーティスト(第22回)〔1979年〕,グラミー賞特別功労賞(第32回)〔1989年〕

経歴
1956年ジョン・レノンが率いるザ・クオリーメンに入り、’60年ザ・ビートルズと改称、’62年レコードデビュー。以来数多くのヒット曲を放ち、史上最高のロックグループとして世界的人気を得る。グループ内ではボーカル、ピアノ、ベースを担当した他、レノンとともに200曲を超える歌を作曲。人気絶頂の’70年脱退宣言。同年ビートルズ解散後、’71年妻のリンダ(’98年死去)らとウイングスを結成し、「ポール・マッカートニー」「ラム」「レッド・ローズ・スピードウェー」「バンド・オン・ザ・ラン」などのアルバムを発表。’75年秋来日の予定であったが、かつて麻薬所持で逮捕されたことから入国を拒否され、公演が中止になった。ビートルズ時代は「イエスタデー」などロマンチックなメロディー・メーカーであったが、ウイングスではハード・ロックを追求、“ロックの王者”といわれた。’89年、13年間のブランクを破ってヨーロッパツアーを再開。’90年3月日本初公演を行う。’94年元ビートルズのメンバー、リンゴ・スター、ジョージ・ハリソンと共に新曲をレコーディング。’95年11月ロック作曲家・歌手で初めて、英国王立音楽アカデミー特別会員となる。’96年英国リバプール総合芸術大学(LIPA)を開校。同年「ザ・グレイトフル・デッドノア・フォトフィルム」を監督。’97年3月エリザベス女王から“ナイト爵位”(Sir)を授けられる。’99年ロックンロール名誉の殿堂入り。2000年ビートルズのベストアルバム「ザ・ビートルズ1」がリリースされ、初の公式本「ザ・ビートルズ・アンソロジー」が刊行される。2001年ウイングスの曲を中心に選曲したソロとしてのベストアルバム「ヒッツ&ヒストリー」をリリース。またクラシック形式の曲も作曲、作品に「リバプール・オラトリオ」(1991年)、「スタンディング・ストーン」(’97年)などがある。2002年9年ぶりの日本公演を開催。2006年ビートルズの新作アルバム「LOVE」が全世界同時発売される。2007年21枚目のソロアルバム「追憶の彼方に〜メモリー・オールモスト・フル」を発表。同年集大成のDVD「ザ・マッカートニー・イヤーズ(1970〜2005年)」をリリース。2013年5月、南米でスタートした世界ツアー「アウト・ゼア」の一環として、11月11年ぶりに来日コンサートを行う。同年ニューアルバム「NEW」もリリース。2002年元水着モデルで地雷廃止活動家のへザー・ミルズと再婚するが、2008年離婚。2011年10月実業家のナンシー・シェベルと3度目の結婚。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵 「ポール・マッカートニー」の解説

ポール・マッカートニー

英国出身のロック(ポピュラー)ミュージシャン。1942年、リバプール生まれ。60年代、ジョン・レノンと共にビートルズの中心メンバーとして活躍し、主に作曲・作詞、ボーカル、ベースを担当した。ビートルズ解散後も多くのヒット曲を生み出し、「ギネス世界記録」には「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」と認定されている。また、「レット・イット・ビー」「ヘイ・ジュード」と並ぶビートルズ時代の名曲「イエスタデイ」(65年)は「世界で最も多くカバーされた曲」として認定されている。マルチプレーヤーとしても知られ、とりわけベーシストとしての評価が高い。難民救済活動や動物保護運動などにも熱心で、多くのチャリティーコンサートに出演している。97年には英国王室から「Sir(サー)」の称号を授与された。
ビートルズでの活動は、62年のデビューから70年の解散までの8年間。1966年6月29日に初来日し、日本武道館で5回公演を行い、「ビートルズ旋風」を巻き起こした。ビートルズ解散後はウイングスを結成し、73年に発表したアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」で全英・全米1位を獲得した。80年1月には、ビートルズ解散後初の日本公演が行われる予定だったが、大麻所持の現行犯によって成田空港で逮捕され、国外強制退去となった。
80年代はソロ名義の作品に加え、スティービー・ワンダーとの共作「エボニー・アンド・アイボリー」やマイケル・ジャクソンとの共作「セイ・セイ・セイ」をヒットさせた。90年代はクラシック音楽にも進出し、アルバム「リヴァプール・オラトリオ」(91年)を発表。同時に本格的なツアー活動も再開し、ソロとして現在まで4回(90年、93年、2002年、13年)来日している。14年5月、ビートルズ時代を含め6度目の来日公演が(旧)国立競技場・日本武道館ほかで予定されていたが、来日直後に発症したウイルス性炎症で全公演キャンセルとなった。なお、最初の夫人リンダ(1998年死去)との次女ステラは、世界的なファッションデザイナーとして知られる。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2014年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

20世紀西洋人名事典 「ポール・マッカートニー」の解説

ポール マッカートニー
Paul McCartney


1942 -
英国のロック音楽家。
元・ビートルズのメンバー。
リバプール生まれ。
ジョン・レノンが結成したグループに1956年に加わり、’60年にグループ名をビートルズ改名した。’62年に「ラブ・ミー・ドゥー」がヒットし、’64年初めに「抱きしめたい」が米国でも大ヒットし、世界的なビートルズ旋風を巻き起こした。’64年にグラミー賞、’65年に外貨獲得の功績でエリザベス女王からMBE勲章を受章した。’70年にグループが解散しソロ活動に入った。その他の作品に「マジカル・ミステリー・ツアー」(’67年)、「Let it be」(’70年)等がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ポール・マッカートニー」の解説

ポール・マッカートニー

イギリスのミュージシャン、ポール・マッカートニーのファーストソロアルバム。1970年発表。全英アルバムチャート2位、全米アルバムチャート1位を記録。ジャケット写真は当時の妻、リンダ・マッカートニーによるもの。原題《McCartney》。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

367日誕生日大事典 「ポール・マッカートニー」の解説

ポール マッカートニー

生年月日:1942年6月18日
イギリスのロック歌手;シンガーソングライター

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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