マブゼ博士(読み)マブゼはかせ

改訂新版 世界大百科事典 「マブゼ博士」の意味・わかりやすい解説

マブゼ博士 (マブゼはかせ)

ドイツ映画。怪奇探偵映画の傑作として知られるフリッツ・ラング監督作品で,サイレント作品とトーキー作品2本(続編およびリメーク)がある。最初の作品は1922年製作,日本公開題名は《ドクトル・マブゼ》,原題は《Dr.Mabuse,der Spieler(賭博者マブゼ博士)》で,表現主義映画の代表作の一つに数えられている。オリジナル版は,〈偉大な賭博者--ある時代の表象〉と〈地獄--ある時代の人びと〉の二部構成で,二夜連続で上映された。第1次世界大戦後ドイツの混乱した退廃的な社会で催眠術と変相術を巧みにつかい,強大な組織をあやつって闇の世界を支配しようとし,追いつめられたあげく狂人となって発見される心理学博士マブゼは,いわば《カリガリ博士》と同一の系列にある人物であり,すでにヒトラーのイメージを引きずっているといわれ,犯罪は大規模であるほど成功するというヒトラーの《わが闘争》の理論を先取りしているとも評された。そして,あきらかにマブゼとヒトラーの二重像をつくりあげたトーキー版の続編《怪人マブゼ博士》(原題《Das Testament von Dr.Mabuse(マブゼ博士の遺言)》1932)は,ナチスによる最初の上映禁止映画になった。また,マブゼの物語を再映画化した《怪人マブゼ博士》(原題《Die tausend Augen des Dr.Mabuse(マブゼ博士の千の目)》1960)は,ハリウッド時代を終えてドイツに帰ったラングの最後の監督作品になった。
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世界大百科事典(旧版)内のマブゼ博士の言及

【ラング】より

…建築と美術を学び,第1次世界大戦で負傷して入院中に書いた脚本がヨーエ・マイJoe May監督(1880‐1954)によって映画化されたのち,プロデューサーのエーリヒ・ポマーに認められて映画界に入り,1919年にデッカ社の監督となる。敗戦後の〈時代の一つの記録〉といわれる《ドクトル・マブゼ(《マブゼ博士》)》(1922),民族的伝説を壮大に映画化した《ニーベルンゲン》(1924),未来都市を空想的に描いてSF映画の古典となった《メトロポリス》(1926)が世界的に注目され,また,少女殺しの実話をもとにした最初のトーキー作品《M》(1932)は,音と画面との対位法を効果的に用いた歴史的傑作とされているが,公開されてから3年後には,ナチスの禁止映画のリストに載せられた。そしてまた,《ドクトル・マブゼ》の第2部,ラングによれば〈ヒトラーが用いたテロリズムの方法を示す寓話〉であり〈ナチズムの秘密の理論を暴露しようとした〉《怪人マブゼ博士》(1932)は,ナチスによる禁止映画第1号となった。…

※「マブゼ博士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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