メガリ・イデア(読み)めがりいであ

山川 世界史小辞典 改訂新版 「メガリ・イデア」の解説

メガリ・イデア
Megali Idea

19世紀後半からのギリシア王国の領土拡張を正当化する思想。「大いなる思想」の意。1844年の国会での首相コレッティスの演説に由来するといわれる。いまだオスマン帝国下に残されていたギリシア人を「解放」し,歴史的にギリシア文化の影響下にあった地域を王国の領土として「回復」することをめざした。その最終目標はコンスタンティノープルを首都とするビザンツ帝国の版図の再興と考えられた。オスマン帝国や東地中海をめぐる列強の利害対立,あるいはバルカン戦争,第一次世界大戦をとおして,北はテッサリアイピロスマケドニアトラキア,南はクレタ島筆頭とするエーゲ海島々へと領土は拡張された。1922年アナトリアでの対トルコ戦の敗北によってこの思想は影響力を失った。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のメガリ・イデアの言及

【オソン[1世]】より

…成人して摂政制を廃したのちも,43年立憲君主制となるまでバイエルン人政治家・軍人を重く用いて絶対主義的な統治を行う。のち〈メガリ・イデアMegáli Idéa〉といわれるギリシア領土拡張主義を標榜して国民の歓心を集めようとしたが実らず,62年廃位させられた。【真下 とも子】。…

【ギリシア】より

… 独立当時のギリシア領域は,アルタ湾とボロス湾とを結ぶ線以南の本土とキクラデス諸島に限定されており,残されたギリシア人居住区の併合問題は政府の当初よりの懸案であった。国境拡大は唯一の,国民の一致した民族的要求であったが,19世紀後半より,それは旧ビザンティン帝国領域を最大目標とする大ギリシア主義(〈メガリ・イデア〉とよばれる)の運動となって展開し,実際,領土は拡大しつつあった。露土戦争(1877‐78)でギリシアは中立を維持し,その結果ベルリン会議(1878)においてテッサリアおよびエピロスの一部の併合が認められた(併合は1881)。…

※「メガリ・イデア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android