改訂新版 世界大百科事典 「モーペルテュイ」の意味・わかりやすい解説
モーペルテュイ
Pierre Louis Moreau de Maupertuis
生没年:1698-1759
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… しかし,本当の意味の遺伝学が成立するためには,種の概念,細胞説,有性生殖の認識などが確立される必要があった。モーペルテュイP.L.M.de Maupertuisのヒトの多指症についての研究,ケルロイターJ.G.Koelreuterの雑種の研究などの先駆的業績を経て,ついにG.J.メンデルの登場となる。しかし近代遺伝学の成立はメンデルの遺伝法則の再発見の年すなわち1900年とするのがふつうである。…
…アカデミー会員で,パリの経度の決定(1718)などにかかわる。地球の形状では,ようやくフランスにも登場し始めたデザギュリエJ.T.Désaguliers(1683‐1744),モーペルテュイP.L.M.de Maupertuis(1698‐1759)らのニュートン派と対立して,縦長説を堅持し,父親の説を強く擁護した。3代目で,テュリ伯となったセザール・フランソワCésar François C.(1714‐84)と4代目のジャック・ドミニクJacques Dominique C.(1748‐1845)は協力して〈カッシニ図〉と呼ばれるものを1793年に完成させた。…
… しかし,本当の意味の遺伝学が成立するためには,種の概念,細胞説,有性生殖の認識などが確立される必要があった。モーペルテュイP.L.M.de Maupertuisのヒトの多指症についての研究,ケルロイターJ.G.Koelreuterの雑種の研究などの先駆的業績を経て,ついにG.J.メンデルの登場となる。しかし近代遺伝学の成立はメンデルの遺伝法則の再発見の年すなわち1900年とするのがふつうである。…
…アカデミー会員で,パリの経度の決定(1718)などにかかわる。地球の形状では,ようやくフランスにも登場し始めたデザギュリエJ.T.Désaguliers(1683‐1744),モーペルテュイP.L.M.de Maupertuis(1698‐1759)らのニュートン派と対立して,縦長説を堅持し,父親の説を強く擁護した。3代目で,テュリ伯となったセザール・フランソワCésar François C.(1714‐84)と4代目のジャック・ドミニクJacques Dominique C.(1748‐1845)は協力して〈カッシニ図〉と呼ばれるものを1793年に完成させた。…
…質点はその作用積分が各時刻において最小となるような軌道を描くという力学原理。解析力学の枠組みにおけるもっとも一般的な形に述べられる運動法則,すなわちハミルトンの原理が現れる以前,直観的に運動法則を述べる試みとして,1744年P.L.M.deモーペルテュイによって最初に提出された。ここで作用積分とは,質点の運動量p(t)をその描く軌道q(t)に沿って積分する,のことを意味していた(tは時間)。…
…18世紀的唯物論がこれに加わる。モーペルテュイ,ビュフォン,ディドロ,ドルバックらが主要な進化思想家としてあげられる。モーペルテュイとビュフォンが,ボルテールとならんでフランスへのニュートン力学の紹介者であることは,この力学がフランス思想に自然の合則性の観念を直接培って,進化観念の土台を準備したことを示している。…
※「モーペルテュイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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