20世紀日本人名事典 「ラグーザ玉」の解説
ラグーザ 玉
ラグーザ タマ
        
              明治〜昭和期の洋画家
- 生年
 - 文久1年6月10日(1861年)
 - 没年
 - 昭和14(1939)年4月6日
 - 出生地
 - 江戸・芝新堀町(東京都港区)
 - 旧姓(旧名)
 - 清原 玉(キヨハラ タマ)
 - 別名
 - 号=永寿,イタリア名=ラグーザ エレオノーラ,別名=ラグーザ お玉(ラグーザ オタマ)
 - 経歴
 - 明治5年頃から栄洲に日本画を学び永寿と号した。9年工部美術学校(のちの東京美校)教授として政府が招いたイタリア人彫刻家ヴィンツェンツォ・ラグーザに洋画を学び、のち結婚。15年ラグーザの帰国に従いイタリア・シチリア島のパレルモに移住、同地の高等美術工芸学校教授を務める。南イタリア美術展、イタリア全国博覧会美術部門、ニューヨークの国際美術展、シカゴ万博などで受賞。夫の没後、昭和8年帰国し自適の生活の中で制作を続けた。代表作に「天楽礼讃」「春」「京都風俗」など。61年、47年振りに作品展が開催された。
 
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

