ロナウド(読み)ろなうど(英語表記)Ronaldo Luiz Nazário de Lima

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロナウド
ろなうど
Ronaldo Luiz Nazrio de Lima
(1976― )

ブラジルのプロサッカー選手。9月22日、ブラジルのベント・リベイロBento Ribeiro(リオ・デ・ジャネイロ州)に生まれる。ブラジルのソシアル・ラモス、サンクリスバンといった小クラブを経て、クルゼイロで活躍。17歳で1994年ワールドカップ・アメリカ大会のメンバーに選ばれた。すでに「将来はペレを超える逸材」といわれていたが、当時はロマーリオRomrio de Souza Faria(1966― )、ベベットJos Roberto Gama de Oliveira(Bebeto)(1964― )の2トップが最盛期にあり、ロナウドの出番はなく、ベンチを温めたまま世界チャンピオンになった。大会直後に、オランダのPSVアイントホーフェンへ移籍。さらにFCバルセロナ(スペイン)へ移籍した1996~1997年シーズンには、その力を発揮した。1997年インテル(イタリア)へ、2002年レアル・マドリード(スペイン)へ移籍。2007年1月、ACミラン(イタリア)へ移籍した。抜群のスピードを生かした突破力がトレードマークである。一人で数人を抜き去って次々と得点を重ねるセンセーショナルなプレースタイルで、1997年のヨーロッパ最優秀選手賞(バロンドール)を受賞。また1996、1997年のFIFA(国際サッカー連盟)世界最優秀選手に選ばれた。1998年ワールドカップ・フランス大会では、エースとして出場。しかし、疲労と負傷から満足なプレーができないまま、決勝でフランスに敗れた。ワールドカップ韓国/日本大会では7試合で8ゴールの活躍をみせ、得点王となった。ドイツとの決勝では2得点し、優勝の立役者であった。2002年もバロンドールを受賞、FIFA世界最優秀選手にも選ばれた。[西部謙司]

その後の動き

2009年よりコリンチャンス(ブラジル)に在籍、2011年現役引退。[編集部]
『フランセスク・アギラール、シャビエル・トーレス著、坂路淳子訳『21世紀の王者ロナウド』(1998・ベースボール・マガジン社)』

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最新 世界スポーツ人名事典の解説

ロナウド
Ronaldo
サッカー

サッカー選手 W杯ブラジル大会組織委員会理事
生年月日:1976年9月22日
国籍:ブラジル
出生地:リオデジャネイロ州ベントリベイロ
別名等:本名=Ronaldo Luis Nazário da Lima
受賞歴:FIFA世界年間最優秀選手〔1996年・1997年・2002年〕;バロンドール〔1997年・2002年〕
経歴:1991年サンクリスパウゾン(リオ州2部)でデビュー。’93年クルゼイロに移る。’94年17歳6ケ月でブラジル代表デビュー、W杯米国大会出場はなかったが、ブラジル史上最年少でベンチ入り。同年クルゼイロからオランダのPSVアイントホーヘンに移籍。’96年7月約22億円(当時)でスペインのバルセロナに移籍、12月サッカー史上最高額となる総額約42億3500万円(当時)で10年契約を結ぶが、’97年5月退団。同年6月イタリア・セリエAのインテルに5年契約で移籍。’96年、’97年史上最年少の2年連続国際サッカー連盟(FIFA)世界年間最優秀選手に選ばれる。’97年度の欧州MVP(バロンドール)と最優秀FW賞を獲得。’98年W杯フランス大会ではフランスとの決勝当日に前身痙攣に襲われ、ブラジル史上初の決勝敗退の戦犯にされた。’99年7月南米選手権で優勝、大会5得点を決め、リバウドとともに得点王に輝く。同年11月右膝を負傷して手術。2000年4月、5ケ月ぶりの復帰戦となったイタリア杯決勝第1戦(対ラツィオ戦)で再び右膝を痛め、手術を受ける。2001年11月リーグ戦の対レッチェ戦でセリエAに、2002年3月対ユーゴスラビア戦で代表に復帰。2002年W杯日韓共催大会ではリバウド、ロナウジーニョとともに“3R”の一角を担い、8得点を挙げ優勝に貢献、得点王も獲得。同年9月約54億円(当時)でスペインの強豪レアル・マドリードに移籍。12月トヨタ杯でクラブの世界一に貢献しMVPを獲得。同月史上初の3度目のFIFA世界年間最優秀選手に選ばれ、2度目のバロンドールにも輝いた。2003年チームのスペインリーグ優勝に貢献。2004年リーグ優勝は逃すが、得点王を獲得。2006年W杯ドイツ大会ではFWアドリアーノ、MFロナウジーニョ、カカと“魔法の4人(カルテット・マジコ)”と呼ばれる攻撃陣を形成、W杯記録の通算15得点をマークするが、ベスト8に終わった。2007年セリエAのACミランを経て、2009年母国のコリンチャンスに移籍。抜群のスピードと得点感覚、ボディバランスを併せ持つ世界屈指のストライカーとして活躍したが、近年は怪我が続き、2011年2月現役を引退。引退会見の席で、度々体重増加を指摘されていたが、甲状腺機能低下の病気であったことを明かした。W杯には3度出場し、通算15得点の最多記録を持つ。“怪物”“フェノメノ”(イタリア語で超常現象)と呼ばれた。またサッカー選手として初の国連開発計画親善大使に任命された。2011年、2014年自国で開催されるW杯ブラジル大会の組織委員会理事に就任。

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367日誕生日大事典の解説

ロナウド

生年月日:1976年9月22日
ブラジルのサッカー選手

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現代外国人名録2016の解説

ロナウド
Ronaldo

職業・肩書
元サッカー選手

国籍
ブラジル

生年月日
1976年9月22日

出生地
リオデジャネイロ州ベントリベイロ

本名
ルイス・ナザーリオ・ダ・リマ,ロナウド〈Luis Nazário da Lima,Ronaldo〉

受賞
FIFA世界年間最優秀選手〔1996年・1997年・2002年〕,バロンドール〔1997年・2002年〕

経歴
1991年サンクリスパウゾン(リオ州2部)でデビュー。’93年クルゼイロに移る。’94年17歳6ケ月でブラジル代表デビュー、W杯米国大会出場はなかったが、ブラジル史上最年少でベンチ入り。同年クルゼイロからオランダのPSVアイントホーヘンに移籍。’96年7月約22億円(当時)でスペインのバルセロナに移籍、12月サッカー史上最高額となる総額約42億3500万円(当時)で10年契約を結ぶが、’97年5月退団。同年6月イタリア・セリエAのインテルに5年契約で移籍。’96年、’97年史上最年少の2年連続国際サッカー連盟(FIFA)世界年間最優秀選手に選ばれる。’97年度の欧州MVP(バロンドール)と最優秀FW賞を獲得。’98年W杯フランス大会ではフランスとの決勝当日に前身痙攣に襲われ、ブラジル史上初の決勝敗退の戦犯にされた。’99年7月南米選手権で優勝、大会5得点を決め、リバウドとともに得点王に輝く。同年11月右膝を負傷して手術。2000年4月、5ケ月ぶりの復帰戦となったイタリア杯決勝第1戦(対ラツィオ戦)で再び右膝を痛め、手術を受ける。2001年11月リーグ戦の対レッチェ戦でセリエAに、2002年3月対ユーゴスラビア戦で代表に復帰。2002年W杯日韓共催大会ではリバウド、ロナウジーニョとともに“3R”の一角を担い、8得点を挙げ優勝に貢献、得点王も獲得。同年9月約54億円(当時)でスペインの強豪レアル・マドリードに移籍。12月トヨタカップでクラブの世界一に貢献しMVPを獲得。同月史上初の3度目のFIFA世界年間最優秀選手に選ばれ、2度目のバロンドールにも輝いた。2003年チームのスペインリーグ優勝に貢献。2004年リーグ優勝は逃すが、得点王を獲得。2006年W杯ドイツ大会ではFWアドリアーノ、MFロナウジーニョ、カカと“魔法の4人(カルテット・マジコ)”と呼ばれる攻撃陣を形成、W杯記録の通算15得点をマークするが、ベスト8に終わった。2007年セリエAのACミランを経て、2009年母国のコリンチャンスに移籍。抜群のスピードと得点感覚、ボディバランスを併せ持つ世界屈指のストライカーとして活躍したが、近年は怪我が続き、2011年2月現役を引退。引退会見の席で、度々体重増加を指摘されていたが、甲状腺機能低下の病気であったことを明かした。W杯には3度出場し、通算15得点の最多記録を持つ。“怪物”“フェノメノ”(イタリア語で超常現象)と呼ばれた。サッカー選手として初の国連開発計画親善大使に任命されている。

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