ヴィム ヴェンダース(英語表記)Wim Wenders

現代外国人名録2016 「ヴィム ヴェンダース」の解説

ヴィム ヴェンダース
Wim Wenders

職業・肩書
映画監督

国籍
ドイツ

生年月日
1945年8月14日

出生地
デュッセルドルフ

本名
ヴェンダース,アーンスト・ヴィルヘルム〈Wenders,Ernst Wilhelm〉

学歴
ミュンヘン・テレビ映画大学

受賞
カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞(第29回)〔1976年〕「Kings of the Road」,ベネチア国際映画祭金獅子賞(第39回)〔1982年〕「ことの次第」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第37回)〔1984年〕「パリテキサス」,BAFTA賞監督賞(第38回)〔1984年〕「パリ、テキサス」,カンヌ国際映画祭監督賞(第40回)〔1987年〕「ベルリン天使の詩」,ヨーロッパ映画賞監督賞(第1回)〔1988年〕「ベルリン・天使の詩」,カンヌ国際映画祭グランプリ(第46回)〔1993年〕「時の翼にのって/ファーラウェイ・ソー・クロース!」,ベネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞(第52回)〔1995年〕「愛のめぐりあい」,ヨーロッパ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞〔1999年〕「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」,ベルリン国際映画祭審査員賞(第50回)〔2000年〕「ミリオン・ダラー・ホテル」,ヨーロッパ映画賞ドキュメンタリー映画賞〔2011年〕「Pina」,ベルリン国際映画祭名誉賞(第65回)〔2015年〕

経歴
大学で医学哲学を専攻した後、1967〜70年ミュンヘンのテレビ・映画大学で学ぶ。ニュー・ジャーマン・シネマの中心人物の一人で、’70年劇映画「Summer in the City(都市の夏)」で長編監督デビュー。ロード・ムービー3部作と呼ばれる「Alice in the Cities(都会アリス)」(’74年)、「The Wrong Move(まわり道)」(’75年)、「Kings of the Road(さすらい)」(’76年)で若手映画監督として国際的注目を集める。’77年「The American Friend(アメリカの友人)」を完成後フランシス・フォード・コッポラに呼ばれて渡米。’84年「Paris,Texas(パリ、テキサス)」でカンヌ国際映画祭パルムドール受賞。’87年には「Wings of Desire(ベルリン・天使の詩)」で再び同賞を受賞した。また、“小津映画への巡礼の旅日記”と名付けられた「東京画」(’85年)もある。’91年東京国際映画祭ハイビジョン・シンポジウムに「Until the End of the World(夢の涯てまでも)」を出品、フィルム技術とハイビジョン技術を融合させた画期的な映画として話題を呼んだ。’90年代は殆んど米国で活動したが、2005年後米国を離れ、2008年の「パレルモ・シューティング」でヨーロッパに本格的に復帰。2011年舞踊家ピナ・バウシュへのオマージュ作品として、3Dドキュメンタリー映画「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を発表。他の作品に「ことの次第」(1982年)、「時の翼にのって/ファーラウェイ・ソー・クロース!」(’93年)、「リスボン物語」「愛のめぐりあい」(’95年)、「エンド・オブ・バイオレンス」(’97年)、「ミリオンダラー・ホテル」(’99年)、「ランド・オブ・プレンティ」(2004年)、「アメリカ、家族のいる風景」(2005年)、「The Salt of the Earth」(2015年)、音楽ドキュメンタリー「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年)など。著書に「Emotion Pictures(エモーション・ピクチャーズ)」(’86年)、「Die Rogik der Bilder(映像論理)」(’88年)などがある。’82年初来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

367日誕生日大事典 「ヴィム ヴェンダース」の解説

ヴィム ヴェンダース

生年月日:1945年8月14日
ドイツの映画監督

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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