ヶ岡城跡
いばらがおかじようあと
[現在地名]鷲敷町和食郷
字八幡原にあり、標高一〇八メートルの山尾根先端の突起に築かれた山城跡。麓からの比高は約六〇メートルである。急峻な山だが城は小規模で、山頂の小さな曲輪と東西の枝尾根に空堀を設けている程度である。また山の南側の台地上には城主の平時の里城と推定される平地があり、五輪塔などがある。「城跡記」に和食城とあるのが当城にあたると考えられ、城主は阿波守護細川氏の後裔細川掃部頭真之。真之は天正四年(一五七六)に三好長治の専横を恨んで勝瑞城(現藍住町)を脱出し、仁宇谷に移ってきたという(三好記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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