一勝地谷村(読み)いつしようちだにむら

日本歴史地名大系 「一勝地谷村」の解説

一勝地谷村
いつしようちだにむら

[現在地名]球磨村一勝地いつしようち

薩摩国境に位置する国見くにみ山の山麓から流れ出るいも川が、途中小河川を吸収しながら球磨川へ注ぐ谷筋に集落が点在する。南は薩摩国大口おおくち(現鹿児島県大口市)、西は熊本藩領葦北あしきた郡に接し、東は毎床谷まいとこだに村、北は球磨川に面する。一升内・一舛内とも記され、延徳二年(一四九〇)一一月二一日の相良為続知行宛行坪付(西文書)に「肥後国求麻之郡之内一升打裏百性」とある。「八代日記」天文九年(一五四〇)九月一八日条に「義武様求麻ニ御登候、徳淵より御出舟、佐敷八町ニ御小宿、十九日一舛打御着候、廿日ニ人吉御着」とあり、徳淵とくぶち(現八代市)から佐敷さしき(現葦北郡芦北町)を経由して人吉までの交通路の要衝であったことがわかる。

慶長国絵図に「一升内」三一石余、「一升内ノ内 つけ 田無」とある。寛永一一年(一六三四)郷村高辻帳に一勝地谷として本田高四一石余・新田畑高一七〇石六斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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