一堰村(読み)いちのせきむら

日本歴史地名大系 「一堰村」の解説

一堰村
いちのせきむら

[現在地名]喜多方市豊川町(とよかわまち)一井(いちい)

菅井(すがい)村の東に位置し、南東は源太屋敷(げんだやしき)村(現塩川町)、南は渋井(しぶい)村、北東は上高額(かみたかひたい)村。村の北で田付(たづき)川の水を引く大(おお)堰は当村や源太屋敷村などの田地を潤したが、同堰の取入口に位置することが村名の由来と思われる。小田付組に属した。天文一二年(一五四三)に新宮(しんぐう)熊野社(現熊野神社)の大祭で行われた田楽相撲の記録を同一四年一月吉日に書写した相撲田楽日記(新宮雑葉記)の番付第八番に「一ノ関」、取組第一二番に「一ノ堰」とみえ、当村も同田楽相撲へ参加していた。


一堰村
いちのせきむら

[現在地名]会津若松市門田町(もんでんまち)一(いち)ノ堰(せき)

阿賀川東岸にあり、北は徳久(とくひさ)村、北東は中野(なかの)村、東は御山(おやま)村。古くは一関と記し、街道に関所を置いたための村名という。寛文年中(一六六一―七三)一堰と改めたという。南東五町に端村の本羽黒(もとはぐろ)がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では大沼郡のうちに一関とあり、高五八〇石余。南青木組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高八九六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む