日本歴史地名大系 「一尺屋村」の解説 一尺屋村いつしやくやむら 大分県:北海部郡佐賀関町一尺屋村[現在地名]佐賀関町一尺屋 上浦(うわうら)・下浦(したうら)田浦(たのうら)村の南に続き、南西は佐志生(さしゆう)村(現臼杵市)、西は樅木(もみのき)山に連なる山地。東と南は豊後水道に面し、南の地先沖合に筏(いかだ)島がある。永徳三年(一三八三)七月一八日の大友親世所領所職等注進状案(大友文書)のなかに「佐賀郷付佐賀関并一尺屋」とみえる。天文二二年(一五五三)九月二〇日の佐賀郷関公領地検帳(早吸日女神社文書)の「古ミや分田数之事」の坪付の後に「大さかい之事」として「にしハ(中略)一しやく屋(一尺屋)のミちのをゝかきり」「ミなミハ一しやく屋のとしやくはへをさかい」と記されている。室町時代から戦国期にかけ、大友水軍の主力として働いた当地の武士に若林一族がおり、年未詳四月二九日、大友政親は佐賀郷内一尺屋残分一四貫等の代所として、野津(のつ)院(現野津町)内一五貫を若林上総介に預けている(「大友政親知行預ケ状」文化庁蔵若林文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by