出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
九州と四国を分ける水道で,北口は豊予海峡で瀬戸内海の伊予灘へ,南口は鶴御(つるみ)崎(九州側)~高茂岬(こうもざき)(四国側)を結ぶ線で太平洋へつながる東西約50km,南北約40kmの海域を指す。豊後水道の名称は1883年に水路部の海図に使用されたのが始まりで,それ以前は特に豊後水道全域を指す名称はなかったらしく,《豊後国志》には,〈海〉とだけある。水深は一般に深く,中央部で80~90m,豊予海峡の南の海釜が300mをこえる。豊後水道の両岸は典型的リアス海岸で,湾入が多く,岬や島嶼(とうしよ)が交錯している。西側に高島,無垢(むく)島,保戸(ほと)島,大入(おおにゆう)島,大島,東側に日振島,戸島などがある。
《日本書紀》によれば,神武天皇の東征は日向からこの水道を通って瀬戸内海へ向かっており,古くから〈海部(あまべ)〉と呼ばれていた西岸を北上している。佐伯市大入島にある神の井,大分市の旧佐賀関町の早吹比女(はやすいひめ)神社や椎根津彦(しいねづひこ)神社など,東征伝説にまつわる史跡が残っている。中世になると内外の船舶の出入りがひんぱんとなり,豊後水道の各所に港ができるようになる。佐賀関は,最も古い港の一つで,近世は風待港として栄えた。豊後水道の両岸は山が海に迫り,低地が少なく,斜面を利用して段々畑が発達し,〈耕して天に至る〉風景が展開している。古くはサツマイモや麦を栽培していたが,近年,ミカンに転換したところが多い。
執筆者:勝目 忍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
九州の豊後と四国の伊予を分かつ海域。北口は愛媛県佐田岬と大分県関崎(せきざき)の間の速吸瀬戸(はやすいせと)(豊予(ほうよ)海峡)、南口は愛媛県高茂(こうも)岬と大分県鶴御(つるみ)崎の間で、東西約50キロメートル、南北約40キロメートル。一般に深く、中央部で80~90メートル、速吸瀬戸南東方の海釜(かいふ)(深い窪地)は300メートルを超える。両岸は四国山地と九州山地が終わる所で、典型的なリアス海岸をなし、岬と入り江が交互するなかに、東側に日振(ひぶり)島、戸(と)島、西側に高島、無垢(むく)島、保戸(ほと)島、大入(おおにゅう)島、大島などの島々がある。入り江の奥には、東側に八幡浜(やわたはま)、宇和島(うわじま)、西側に臼杵(うすき)、津久見(つくみ)、佐伯(さいき)などの都市が発達している。マグロ、カジキ、カツオ、イワシ、アジ、サバなどの外海性魚類、タイ、カレイ、ヒラメ、イカ、エビなどの内海性魚類、その他の水産動物が豊富で、水産業が盛んである。入り江では真珠、真珠母貝、ブリの養殖も盛ん。農業は、米作のほか、柑橘(かんきつ)類栽培、牛・豚飼育が主である。
[兼子俊一]
『大分大学教育学部編・刊『豊後水道域――自然・社会・教育』(1980)』
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