朝日日本歴史人物事典 「一条兼香」の解説
一条兼香
生年:元禄5.12.16(1693.1.21)
江戸中期の公家。父は前関白鷹司房輔,母は山科言行の娘。前関白一条兼輝の養子となり,宝永2(1705)年9月一条家を相続。享保11(1726)年右大臣,同13年東宮傅,元文2(1737)年関白,氏長者,延享3(1746)年太政大臣となる。将軍徳川吉宗の儀礼重視政策により再興された大嘗祭,新嘗祭などの実現に関与した。垂加神道に傾倒し,学才にも恵まれ,近衛家煕をして「当世ノ才」と評された。宝暦1(1751)年,辞官と同時に功績により准三宮を贈られる。京都東福寺に葬られる。日記『兼香公記』がある。<参考文献>高埜利彦「近世における即位儀礼」(『「即位の礼」と大嘗祭』)
(母利美和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報