一条村(読み)いちじようむら

日本歴史地名大系 「一条村」の解説

一条村
いちじようむら

[現在地名]広川町一条、筑後市一条

当条とうじよう村の北西に位置し、広川が流れる。天正一七年(一五八九)村名が定められ、一条村一六町とされる(稲員家記)。本高三〇三石余(元禄国絵図)。貞享元年(一六八四)古賀組大庄屋の稲員安則は石人山せきじんさん古墳に倒れていた武装石人を立て起こし壇を築いて祀ったという(稲員家記)。元禄二年(一六八九)薩摩街道(坊津街道)沿いに町構えができ、中世よりみえる広川庄名の名にちなんで盛徳せいとく町と称した(石原家記)。同八年の郡中品々寄(県史資料九)盛徳町とみえ、長さ四町とある。元禄国絵図では盛徳村(無高)と記される。「啓忘録抜萃」では家数三六、町の長さ四町。寛保二年(一七四二)久留米藩主有馬頼生母の盛徳院が太守格待遇となったことから(歴代側室伝)、これをはばかって一条と号することになった(盛徳院殿伝聞密語)


一条村
いちじようむら

[現在地名]南伊豆町一条

毛倉野けぐらの村の東、青野あおの川の支流一条川流域に位置する。古くは一条村・下加茂しもがも村・上加茂村は一村で加茂村と称していたが、当村は貞享元年(一六八四)に分村したという(増訂豆州志稿)。江戸時代の初めは幕府領、元禄一一年(一六九八)旗本三枝・溝口両氏の相給となり幕末に至る(韮山町史)。元禄郷帳によると古は加茂村と肩書されて村名がみえ、高一八〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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