日本歴史地名大系 「一洲」の解説 一洲いちのす 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区一洲鎌倉時代初期からみえる地名で、もとは神崎(かんざき)川河口に形成された洲の一つであったとみられる。建久七年(一一九六)六月三日の太政官符案(東大寺文書)に「河尻一洲」とあり、奈良東大寺の重源による魚住(うおずみ)、大輪田(おおわだ)(現神戸市兵庫区)・一洲の諸津の修築計画を太政官が承認し、その実施を摂津国司に命じた。同官符に引用されている同年四月二八日の重源奏状によると、一洲は「洪濤漫漫、万里無岸、広潟浩浩、四面受風」という地勢であり、このため河尻(かわじり)に入ろうとする船は沈没することもしばしばであったという。重源の計画は一洲に小島を築造して風波を防ぐというものであった。鎌倉時代後期には一洲は渡辺(わたなべ)(現大阪市)・兵庫とともに摂津国の三ヵ津として文献に散見され、諸権門の関所が設置されるようになる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by