魚住(読み)うおずみ

日本歴史地名大系 「魚住」の解説

魚住
うおずみ

瀬戸川東岸から赤根あかね川下流東岸にかけての地域を占め、現明石市魚住地区を遺称とする。神亀三年(七二六)の聖武天皇行幸に随行した笠金村の詠歌に「行きめぐり見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜にしきる白波」(「万葉集」巻六)とみえる名寸隅なきずみは魚住をさすという。平安期成立の「住吉大社神代記」には明石郡魚次なすき浜一処の四至として「東限大久保尻限、南限海棹及際、西限歌見江尻限、北限大路」とある。歌見うたみ賀古かこ二見ふたみ、大路は山陽道にあたり、魚次も魚住に同じという。

天長九年(八三二)五月一一日の太政官符(類聚三代格)に「魚住」とみえ、同地は明石郡海崖にあり、諸国船舶が京に入る要路にある。しかし東西に島がなく南海闊遠で微風が吹けば波濤が山のごとく起こり、無事に通過できる者は少ないので、舟泊を公設したいとの清原夏野の申請があり、播磨国の次官以上一人を専当させ、費用は正税を充てることとしたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の魚住の言及

【魚住泊】より

…天平年中に僧行基(ぎようき)が開いたと伝える摂播五泊(ごはく)(河尻,大輪田,魚住,韓(から),檉生(むろう))の一つ。間隔は当時の1日航程で,魚住泊は兵庫県明石市西郊の江井島(えいがしま)港にあたるといい,〈しょうにんさんのはと〉と呼ぶ突堤や,近くには行基開創と伝える長楽寺もある。…

※「魚住」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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