一野村(読み)いちののむら

日本歴史地名大系 「一野村」の解説

一野村
いちののむら

現長南町市野々いちののに比定される。一野々とも。正平七年(一三五二)一月八日の足利尊氏御教書写(喜連川家御書案留書)に鎌倉鶴岡八幡宮領として埴生はぶ郡一野・佐坪さつぼ両村とみえ、尊氏は上総守護千葉氏胤に軍勢・甲乙人の妨げを止め、社家雑掌に交付するよう対処することを命じている。両所は尊氏により建武二年(一三三五)九月二八日に八幡宮に寄進され、同四年と暦応二年(一三三九)供僧給田として鶴岡二五坊の供僧に分けられたが、各坊はそれぞれ検地を行い、分田帳を作成している(「鎌倉市史」社寺編)。うち頓学坊の知行分が村内一九番の田地で了道の耕作であったが、応永四年(一三九七)当時その一部が一八番田地に混入して相論になっていた(「鶴岡事書日記」同年一〇月三日条、以下同日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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