日本歴史地名大系 「七ッ山村」の解説 七ッ山村ななつやまむら 宮崎県:東臼杵郡諸塚村七ッ山村[現在地名]諸塚村七ッ山家代(えしろ)村の西に位置し、西は下福良(しもふくら)村・松尾(まつお)村(現椎葉村)、北は諸塚山系を挟み分城(わけじよう)村・岩井川(いわいがわ)村(現日之影町)、向山(むこうやま)村(現高千穂町)、三(さん)ヶ所(しよ)村(現五ヶ瀬町)。南は耳川を挟み山三(やまさん)ヶ村(現西郷村)。高千穂一八ヵ郷の一。七山村・七津山村とも記す。天正一〇年(一五八二)四月四日の甲斐親英感状(甲斐文書)によれば、御船(みふね)城(現熊本県御船町)城主と思われる甲斐親英(親秀)は一族の甲斐左近允に対して「七山之内御祓之村八百分」を預けている。甲斐氏は現在の諸塚村一帯、とくに七ッ山に勢力を張った土豪で、高千穂の領主三田井氏と行動をともにしたといわれる。天正一一年島津家久は甲斐左近将監に七山のうちの「松賀比良」の知行を安堵している(「島津家久安堵状」甲斐文書)。これは当地の松の平(まつのひら)と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by