日本歴史地名大系 「七山村」の解説 七山村ななやまむら 和歌山県:海南市七山村[現在地名]海南市七山原野(はらの)村の北東、狭い谷を北東流する貴志(きし)川が平地に抜ける付近に位置する。那賀(なが)郡に属し、村の東南部は丘陵が占め、その東は長谷(ながたに)村(現海草郡野上町)、北は井口(いのくち)・国主(くにし)の両村(現那賀郡貴志川町)、貴志川の西対岸は孟子(もうこ)・高津(たかづ)の両村。承久二年(一二二〇)一二月日付の石清水八幡宮検校祐清譲状(石清水文書)に「紀伊国 小川 柴目 七重山 鉾立 長谷村等」とある「七重山」は当地と考えられる。 七山村ななやまむら 佐賀県:東松浦郡七山村面積:六三・一七平方キロ東松浦郡の東北部に位置する。北は福岡県糸島(いとしま)郡二丈(にじよう)町・前原(まえばる)町と背振(せふり)山地北部の浮(うき)岳の稜線で境し、東は佐賀郡富士町、南は厳木(きゆうらぎ)町、西は浜玉町と境する。背振山地の山塊より形成された地塁状の山嶺に囲まれており、山間の低地や深い渓谷のわずかな平坦地に集落が点在する。各山嶺に源を発する諸河川は深い渓谷をつくり、七山川に合流し玉島(たましま)川となり、浜玉町の扇状地に出る。 七山村ひちやまむら 大阪府:泉南郡熊取町七山村[現在地名]熊取町七山熊取谷の北西端、見出(みで)川の中流域に位置する。文亀元年(一五〇一)一二月一四日の根来寺断(ママ)南院田地売券(中家文書)に「日根野(ママ)郡七山鶴原」とみえ、天文五年(一五三六)七月二六日の左衛門太郎田地売券(同文書)には「鶴原領内七山畠田」、同一五年一二月二二日の弥次郎田地売券(同文書)には「熊取領内七山中島」、同一九年一二月二五日の衛門二郎畠地売券(同文書)には「七山近木庄中番」とあり、鶴原(つるはら)庄(現泉佐野市)、熊取庄、近木(こぎ)庄(現貝塚市)などが入交じっていたと考えられる。永徳三年(一三八三)一二月日付の近木庄領家地頭方散用状(高野山文書)には近木庄に属する「熊取」の未進分が記されているが、これは七山付近のことではないかと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by