七君子事件(しちくんしじけん)
1936年に起こった7人の抗日救国運動指導者の逮捕事件をいう。満洲事変以来の抗日救国運動は,1936年全国各界救国連合会の結成をみ,国民政府の対日政策と鋭く対立した。政府は連合会の指導者沈鈞儒(しんきんじゅ),李公樸(りこうぼく),王造時(おうぞうじ),章乃器(しょうだいき),沙千里(させんり),鄒韜奮(すうとうふん),史良(しりょう)の7人を逮捕し抗日救国運動をつぶそうとした。この事件に対しては国民党内部からも批判があり,日中戦争勃発後,7人は無罪,釈放された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の七君子事件の言及
【中華民国】より
…翌年3月〈満州国〉をつくり,33年3月に国際連盟を脱退すると早速に長城線を越えて関内に出兵し,35年12月には[冀東防共自治政府],[冀察政務委員会]をつくって華北一帯に浸透を図るなど,その侵略はとどまるところを知らなかった。 この重大な民族的危機に直面しながら,蔣介石はなおも共産党討伐に血道をあげ,日本を〈友邦〉と規定し,内戦の停止等を訴える沈鈞儒,鄒韜奮らが逮捕された七君子事件([中華全国各界救国聯合会])に象徴されるように反日愛国運動を逆に弾圧した。しかしあらゆるファッショ的弾圧をほどこしても民族主義の高揚をおさえこむことはできず,その波はついに国民党の軍隊にまでおよび,36年12月,世界を震撼したかの[西安事件]の発生をみるのである。…
※「七君子事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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