日本歴史地名大系 「七見村」の解説 七見村ななみむら 山口県:豊浦郡菊川町七見村[現在地名]菊川町大字七見北に小日本(こにつぽん)平野と称される菊川平野が開け、西に六万坊(ろくまんぼう)山(三九五・二メートル)がそびえ、東・南・西の三方を山脈に囲まれた村である。村内に中(なか)ノ岳・稲荷(いなり)山・大日(だいにち)山・峰(みね)ヶ尻(しり)山などがあり、田部(たべ)川が平野部を流れる。東は上田部(かみたべ)、南は阿内(おうち)(現下関市)、西は植田(うえだ)(現下関市)、北は吉賀(よしか)の各村と境する。長府藩領で東豊浦郡奥支配に属した。村名は慶長五年(一六〇〇)の検地帳にみえ、地名の由来は「地下上申」に「往古岡枝郷の内にて畑の由申伝へ候、此時阿内村境に有之候中の嶽と申高山に虚空蔵の堂あり、此所より見へ掛りの村七ケ所見へ申に付き、此の村を七見村と申習はし候」とある。 七見村ななみむら 徳島県:阿南市七見村[現在地名]阿南市七見町領家(りようけ)村の東に位置する。七水とも記される(阿波志)。慶長二年(一五九七)の分限帳に「日開・七見」とあり、合せて二七〇石余が細山主水佐知行分、那東(なとう)郡に属する。同八年二月の那東郡七見村検地帳(阿南市役所文書)では田畑反別一一町七反・高六〇石余、うち古作より出高六石余・新開分五四石余。慶長期のものと推定される国絵図に「なゝみ」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に「なゝみ村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by