日本歴史地名大系 「万歳嶺」の解説 万歳嶺ばんざいれい 沖縄県:那覇市首里立岸村万歳嶺[現在地名]那覇市首里山川町三丁目首里城の西方、立岸(たちじし)村の西にある丘陵。ウィーナチジナーとよぶ。俗にミヤキジナハと称し、今帰仁那(なちじなー)とも記される。万歳嶺の西にある官松嶺(かんしようれい)を下(しちやぬ)ミヤキジナハと称するのに対して、当嶺を上(ういー)ミヤキジナハともいう。琉球八景の一つで、朝夕の眺望がすばらしく、国王以下が遊覧する名勝であった。弘治一〇年(一四九七)に建てられた慈眼(じげん)院観音堂境内にある万歳嶺記(上ミヤキジナハノ碑文)によるとこの碑は尚真王の命を奉じ、扶桑散人(日本の文人)樗不材が「夫山之得名由其形勝也、茲嶺以万歳為名蓋取嵩呼之義(それ、山の名を得るはその形勝に由るなり。茲の嶺は万歳を以て名となす。蓋し万呼の義を取る)」と命名の由来を記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by